清原の下を去っていった人々 元木大介は「お話しすることはありません」 意外な長嶋一茂への恨み
清原和博
5月末に執行猶予付きの判決が下され、いよいよ清原和博(48)の再生が始まる。この逮捕によって、“番長”からは次々と人が去っていった。初公判では、佐々木主浩元投手が証人として法廷に立ったが、「(2人が)サシで食事をしたのは六本木の寿司屋のカウンターで1年半前が初めてというレベル」(清原のさる知人)というから、いかに頼ることのできる人物がいなかったかが窺える。PL学園時代にKKコンビとして知られた桑田真澄元投手に至っては、「清原はとにかく桑田を毛嫌いしていた」(スポーツジャーナリスト)関係だったという。
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同級生だった桑田氏に対し、「後輩」ないし「一の子分」としてベッタリだったのが、元巨人の元木大介内野手である。
現役時代、さほど目立つ成績を残せなかった元木氏は引退後、しばしば清原をネタにしてバラエティ番組出演の恩恵に与(あずか)ってきた。
「中でも“スパイクの紐を団子結びにされた”とか、“カンチョーされて病院送りが続出した”という『番長ネタ』は笑いが取れる鉄板でした」(さるTV局員)
しかし、その元木氏、逮捕後はそれを見事に封印。
この度の判決についてコメントを求めてみても、
「事務所を通して!」
と電話をブチッ。その事務所も、
「お話しすることはありません」
と、かつての饒舌がウソのように沈黙を決め込むのであった。
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