リオ五輪女子射撃代表 石原奈央子の父は“幻の五輪代表”だった

スポーツ

  • ブックマーク

Advertisement

 今から34年前の週刊新潮に、1人のクレー射撃選手が紹介されている。「スキート」という種目で世界タイ記録を持ち、ボイコットになったモスクワ五輪に出場していれば、日本人初のメダリストになったかも知れない人物である。一風変わっているのは、神社の宮司も兼ねていたことだ。その石原敬士氏(73)の娘・奈央子さん(41)がリオ五輪の女子射撃競技に出場する。

 ***

古峯神社

 栃木県鹿沼市にある古峯神社は1300年の歴史を持つ名所だ。広大な敷地には日本庭園のほか、珍しいことにクレー射撃場も付設されている。リオ五輪の女子射撃代表になった石原選手もここでクレー射撃の腕を磨いたという。

「彼女は最近になって急速に力をつけてきました。2014年のUAEアジア大会で3位、そして、今年2月にインドで行われた五輪のアジア予選では、タイの強豪選手を破って優勝しています。女子のスキート競技はシドニーからと歴史が浅いだけに、十分、メダルを狙える位置にいます」(スポーツ紙デスク)

 ワールドカップに出場中のご本人に代わって、宮司を務める父・敬士氏が言う。

「射撃場が出来たのは明治7年頃でしょうか。おそらく日本で一番古いと思います。私の祖父の時代からここで撃っていましたから、射撃は娘で4代目ですね」

 冒頭でも紹介したが、敬士氏は元五輪代表選手。それも、2度も選ばれている。だが、出場したことはない。1度目はメキシコ五輪の時だ。

「その当時は、僕と麻生太郎さんが代表選手でした。でも、クレー射撃協会の不祥事に巻き込まれて出場できなかったのです」

 2度目は12年後のモスクワ五輪だったが、日本が大会をボイコットしたのはご存じのとおり。当時は、「最もついてない男」とマスコミに取り上げられたこともあった。だが、奈央子選手がクレー銃を手にするのはそれからずっと後のことだ。

 現在、古峯神社の神職である奈央子選手は、いずれ宮司を継ぐ立場でもある。

「娘がクレー射撃を始めたのはここ10年ぐらいのことです。昭和女子大を出たあと、神主の資格を取るため国学院大学の専攻科に入り直し、イギリスにも留学するのですが、それまで銃はぜんぜんやっていなかった。それが、渡航する前、私や麻生さんの師匠でもある藤堂高弘氏(射撃界の大御所)が娘を見て“クレーをやらせろ。オリンピックで金メダルを取らせてやる”と熱心に言ってきた。それがきっかけだったのだと思います」

■射撃姿勢は父そっくり

石原奈央子選手

 射撃の関係者によると、奈央子さんの射撃姿勢は父親にそっくり。藤堂氏は教え子の無念を奈央子さんに晴らしてもらおうと思ったのだろうか。

 当の敬士氏も言うのだ。

「41歳という年齢は、クレー射撃のハンデにはなりません。クレーは若すぎると精神面で安定しないのです。私も一番当たったのは35〜40歳ぐらいの頃でした。オリンピックには、出場できれば十分という人もいるけれど、私はとにかくメダルを取れと本人には言っています」

 五輪代表に選ばれながら出場さえ叶わなかった父。その思いを胸に秘め、晴れの舞台で娘は銃を構える。

「ワイド特集 淑女たちの疾風怒濤」より

週刊新潮 2016年5月5・12日ゴールデンウイーク特大号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。