ミシュラン調査員は30~40代の貧相な若造だった ミシュラン調査員撃退記

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 猫も杓子も「クチコミ」「点数」「星」「いいね!」の時代である。いち飲食店が流行るも流行らないも、どこの馬の骨ともわからないど素人の偏った意見に左右されるなんて、飲食業界にとっては嫌な時代である。そんななか京都の老舗、板前割烹「浜作」の三代目本店主人森川裕之氏による「祇園『浜作』ミシュラン調査員撃退記」と題された記事が「新潮45 10月号」に掲載されている。同記事で森川氏は歪んだグルメガイドを持ちあげる風潮に警鐘を鳴らしている(以下《 》内は引用)。

■グルメサイト・ガイドブックで流れが変わった

 記事の中で森川氏はかつて京都祇園に訪れるお客様は《料理人よりも高い見識を具えられていた》と語る。そして《その店のお料理の中でも得手不得手をよく認識した上で、的外れのない御注文を自らオーダーなさいました》と述べ、そのようなお客様が自分自身の主観に基づき店を選んでいたという。しかし現在ではグルメサイトやグルメガイドブックを参考にしたお客様が溢れ、飲食店の盛衰の様相が変わってきたという。

《料理の味の好みなどは本当に千差万別、全く主観的なものでそのお客様によって好き嫌いが存在するのは至極当然のことでございます。従ってお客様にとりましても料理屋にとりましても、その長年のお付き合いによりまして、(中略)自然とそこに棲み分けと淘汰がなされてきたものであります。この絶妙で自然な均衡を人為的・作為的に破壊したものこそ他ならぬミシュラン・ガイドブックであります。つまり、一律の評価基準で、その調査員が一度もしくは若干回来店しただけで優劣を判断することには、私は甚だ疑義を抱いております。》

■ミシュランは本当に調査しているのか?

 そしてミシュランの調査方法にも疑問を呈する。2009年より、一つ星、二つ星、一つ星と「浜作」に対するミシュランの評価が変わる中、1年に一度調査のために来店するとうたっているミシュランの調査員が来た様子がないのだという。「浜作」では月に一度献立を変えるのだが、2011年にミシュランに掲載されていた献立が、2009年のものと同じだったという。その献立は2009年2月に出したきり、2010年には一度も出したことのない献立だったという。森川氏が年に一度の調査にやってきていないのではないかと疑義を抱いて当然である。

■調査員は30代~40代の若造

 またミシュランの調査員の資質についても苦言を呈する。ミシュラン・ガイドブックを名乗り突然あらわれたのは30~40代の若者だったという。

《大変失礼ながら、その30~40代の御方が自腹で3万円超えの高級店にしばしば通われているはずもなく、またその飲食店の将来の雌雄を決するだけの重き価値判断をゆだねるような見識が具わっているとは到底感じることができませんでした。故に「大変失礼ながら、あなたのようなお若い方ではなく、もっと人生経験を積んで美食の見識をお持ちの60歳を過ぎた紳士にでもお越し頂かねばなりません」と苦言を呈しました。》

 その後フランス人のミシュラン幹部の老紳士が訪れ、料理を絶賛して帰った後、一つ星から二つ星に昇格することになったという。次の年は老紳士の来訪はなく、逆に一つ星へ格下げになったという。森川氏ははっきりと述べてはいないが、ミシュランの信頼性が揺らぐエピソードだ。

■採点を下すことには重い責任が伴う

 森川氏は料理業界に限らず

《他人の作品を批評・採点するには所謂(いわゆる)、審査する側には審査される側よりも高い見識と深い経験が必要であるということであります。》と述べ、

《生き馬の目を抜く弱肉強食の料理業界で、仮にもこのガイドブックに掲載されるような一線級の料理屋やレストランの主人たちは毎日粉骨砕身の思いで料理をお客様にお出しし続けております。その料理について一つ二つ三つなどという採点を下すということには極めて重い責任を伴うということを十二分にも認識して頂く必要があると申し上げる次第でございます。》と論を締める。

 まさに森川氏の言は正論であり、快哉を叫ぶ飲食業界の方々も大勢いることだろう。

デイリー新潮編集部

森川裕之(もりかわ・ひろゆき)
1962年京都生まれ。生家・浜作は日本最初の板前割烹。皇族をはじめ、谷崎・川端などの文豪も足しげく通った。東京での学生時代、連日のように歌舞伎・クラシック・オペラに通い詰める。著書に『和食の教科書 ぎをん献立帖』。

新潮45 2015年10月号掲載

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