親子絶縁! 夫婦離婚! 危険すぎる「実家の片づけ」――辰巳渚(「家事塾」主宰)

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■“過去”を取り戻す作業

 もうひとつは、筆者が「生前整理」が大切だと気づくきっかけになったケースだ。

 大阪府のGさん(女性)。70代の母親ががんを宣告された。母親はショックを受けていたが、Gさんは励ます意味でも、「これからの毎日で、ほんとうに好きな物だけを使うようにしようよ」と提案。母親は陶芸が趣味で、よい器をたくさん作っているのに使わずにいたのだ。それを残念に思っていたので、食器棚をまるごと整理し、どうでもいい食器は処分。母親が選んだ自作の器をきれいに並べなおした。

「ゆっくり時間をかけて、おしゃべりしたり、“こうしてみると、私の器もいいわね”なんて話したりして。短くても未来の暮らしを考えながら過ごすその時間は、かけがえのないものでした」とGさん。

 その2カ月後に母親は急逝したが、葬儀の席で母親の友人から「娘と一緒に食器の片づけができて、ほんとうによかった、って嬉しそうに話していたのよ」と聞いたそうだ。

「一人で暮らすことになった父は、食器を使うたびに『これはお母さんが好きだった器だと思えて、寂しくないんだ』って言っています。母の死後、無理に片づけを勧めたのではないかと不安だったけど、やってよかったと心から思っています」とGさんは言う。

 たとえ短くても、片づけた先の暮らしが快適になり、母子の関係がよりよくなる。そして、残された父親の暮らしがよりよくなり、子としても安心していられる。Gさんの成功の秘訣は、「総まとめ」的な片づけではなく、「親のその先」を見据えた片づけだったことだろう。

 実家の片づけとは、物を減らしてすっきりする単なる片づけではない。

 親は親、子は子と個人主義で生きるようになった現代において、子世代が、親の人生をどう受け継ぐかという話なのだ。

 親の人生は、子の人生と重なっている。同じ家で過ごした時間、同じ物を使って生きていた時間。その時間なくして、子の人生はなかったのに、個人主義の現代では、あたかも自分一人で始まって自分一人で終われるかのような錯覚を持つ。

 親子が本音で向き合う片づけは、物を通じて“過去”を取り戻す作業なのだ。だから、先延ばしはもちろん、手を付けたとしても、親子が正面から向き合わない限り、後悔が残る。

 その後悔とともに生きるのは、ほかならぬ子世代だ。自分自身の幸せのために、親に「余計なお世話」をすればいいのである。それはエゴではない。余計なお世話をしないのは、親だけでなく、自分自身の人生に対する怠慢である。

 一方の親世代は、「子どもに迷惑をかけたくない」などと逃げてはいけない。「自分でできる」と自分を過信してもいけない。親が子どもを頼るのは当たり前だ。もちろん、自力で生前整理に取り組む人もいる。心がけはすばらしいが、筆者は、その際に子を巻き込んでほしいと願う。

 実家の片づけ問題は、親子の人生の後半に訪れるギフトと捉えてみてほしい。洋服や食器、本棚を片づけながら、親はいろいろな思い出を語り、子は親への恨みつらみも感謝の気持ちも語れるだろう。

 この作業は、それまで良好であった親子も、不仲がつづいている親子も、仕切りなおせるチャンスとなる。Aさんの義母が、あと数年たって「片づけを手伝って」と言えたとき、Aさんもまた「もちろん」と答えられたら、どちらにとってもその作業は救いとなるだろう。

 じつはこれは、筆者自身に向けた苦言でもある。不仲の母親が衰えて行く今、最後のチャンスが過ぎつつあることを実感している。気持ちが通い合うことを諦めて数十年、この期に及んで、片づけといういわば即物的な形だからこそ向き合えるかもしれないと思っている。たとえ諍いが起きようと、それが結局は、お互いにとっての“幸福”に繋がるのだから。

辰巳渚(たつみ・なぎさ)
1965年生まれ。お茶の水女子大学卒業後、出版社勤務を経て、ライターとして独立。日本人のライフスタイルについて分析し、『「捨てる!」技術』は130万部のベストセラーになった。現在、「家事塾」を主宰し、日々の生活の悩み相談に乗る「家事セラピスト」の養成にも尽力している。

週刊新潮 2015年10月15日神無月増大号掲載

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