「寝屋川中1遺棄事件」の全真相 真人間を演じていた少年愛の「ホオジロザメ」

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スタンガンと手錠

「あいつは徳島刑務所に服役していたんだが、とにかく最低のやつだった。手癖が悪くて工場の物を盗む。同房のやつのタオルをトイレに流して嫌がらせをする。人が困るのを見て喜ぶやつで、ムショ内でも嫌われ者だったよ」(山口組関係者)

 養子縁組などをして姓が変わり、最終的に山田になったのもこの時期。また、「獄中結婚」したことはすでに報じられているが、

「本人は出所後、“獄中結婚したが、少しして獄中離婚した”と周囲に吹聴していた」(山田の知人)

 出所した山田がフェイスブックを始めたことは前述した。が、そこに書かれなかった事実こそが彼の本性をよく表している。例えば、事件を起こす3日前の8月10日、秋葉原と池袋を訪れていることが分かるが、「実は8月9日と10日、山田は仲が良かった除染作業の同僚と共に、アダルトサイトで見つけた“輪姦イベント”に参加していた」

 と、除染作業で知り合った元同僚は明かす。

「9日の会場は品川にあるホテルの一室で、女1人に男が5、6人。山田は緊張のためか射精にまで至らなかった。ちなみに山田は、自分のイチモツには真珠が25個入っている、と自慢していた。翌10日の会場は池袋のホテルで、この日はうまく射精にまで至り、楽しそうにしていたといいます」

 イベント終了後、山田と同僚は秋葉原に移動したが、そこで“事件”が起こる。

「山田の軽ワゴンに同僚が乗っていたところ、女の子をナンパするために山田は車を急にUターンさせた。結局、ナンパは中止し、車を発進させたところで、後方からきたパトカーに“停まりなさい”と言われた」

 元同僚が続けて話す。

「で、警察官が山田の車内を調べると、バイアグラ、注射器、スタンガン、手錠が出てきたそうです。そのまま山田は警察署に任意同行され、尿と指紋を採取された。が、薬物反応は出ず、解放されることになったのです。注射器やスタンガンなども理由をつけて返却してもらったといいます」

 解放されたのは8月11日の未明で、山田は同僚を千葉の自宅に送り届けた後、大阪へ向かった。そして、13日朝に事件を起こすのだが、その日の午後2時58分、山田はこの同僚にLINEで、「ため息」を意味する(´Д`)という顔文字のみを送っている。平田さんか星野くんの身に何かあったのか。

「事件の2日後の8月15日、山田は千葉県にあるこの同僚の家に泊まっている。そして翌日、山田の車で一緒に福島にある除染請け負い会社の寮へと向かいますが、その際、同僚はいつもはしない芳香剤の匂いが車中に漂っていることに気付いたそうです」

 と、元同僚は話す。

「17日、寮のテレビで今回の事件のニュースをやると、航空写真の地図を指さして“うちはこのへんや”などと言っていた。が、18日、19日と次第に報道が過熱するに従って、ニュースが始まると背を向けてスマホをいじるようになったと聞いています」

 そして21日の逮捕後は、見え透いたウソをついて犯行を否認し続けているこの男に、「良心の呵責」や「改悛の情」を求めても無駄なことは、犯罪の泥濘(ぬかるみ)の中に浸り続けた45年の人生が示している――。

週刊新潮 2015年9月3日号掲載

『寝屋川中1遺棄事件』の全真相 真人間を演じていた少年愛の『ホオジロザメ』

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