『昭和天皇実録』に記載されなかった真実 「英国情報工作員」とも引見した「昭和天皇」復興のインテリジェンス――徳本栄一郎(ジャーナリスト)

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■国際情勢に非常な関心

 やがてサンフランシスコ講和条約の調印で日本占領は終了した。GHQも去って日本は象徴天皇制に歩み出すが、この頃、皇室は新たな問題に直面していた。

 講和条約発効から2カ月後の52年6月11日、天皇は来日中のアレキサンダー英国防大臣を引見した。これも『実録』はただ引見としか書いていないが、英国政府の記録からは天皇の苦悩が垣間見える。

「天皇は(英国の)王室の近況を尋ねた後、国際情勢について質問してきた。中国、ソ連、マレー半島、ペルシア、エジプトなどに関する天皇の問いに、われわれは然るべき回答を行った。式部官長によると、天皇は国際情勢に非常な関心を抱いているが、現在の憲法下では政府から情報が入らず、自分の意見を言う事もできないという」(52年6月12日、英外務省文書)

 満州事変以降、日本の政府や軍部が天皇に情報を上げず、その権威を利用したのは事実だ。それが日中戦争、太平洋戦争の一因となった。しかもこの年は朝鮮戦争が3年目を迎え、世界中で東西冷戦が激化していた。そうした中、天皇は自ら海外のインテリジェンス収集に動き始めていた。

 例えば『実録』の59年11月25日の記述に、英国の前シンガポール駐在総弁務官ロバート・スコットを引見とある。任期を終えて帰国する前に来日したが、彼にはもう一つの顔があった。SIS(英国情報局秘密情報部、別称MI6)と連携して東南アジアの情報収集を行うことだった。当時、SISはシンガポールを拠点に、CIA(米中央情報局)と共に対共産主義工作を進めていた。

 この引見で通訳を務めたのが、外務省出身で宮内庁侍従職御用掛の真崎秀樹である。真崎は25年に亘り側近通訳を務めたが、その間、天皇と各国要人の会話を詳細にノートに記録していた。生前、彼はある米国人ジャーナリストの求めに応じ、英語でそのノートの内容をテープに吹き込んだ。私は30時間以上に及ぶ「真崎テープ」を入手して聞いてみたが、その中に天皇とスコットのやり取りがあった。話題はインドネシア情勢だった。

 天皇「(現地での)共産党の状況はどうですか」

 スコット「共産党は最大政党で、スカルノ大統領は他党と同様、彼らを管理できるかもしれません。しかし、これは彼の政権維持の策略に過ぎないとの見方もあります」

 天皇「インドネシアでの中国共産党の影響力は強いのですか」

 スコット「その通りです。ただ矛盾するのは、インドネシアが東欧共産圏の支援も受けている事です」

『実録』と「真崎テープ」の中身を更に比較する。62年1月11日に天皇はディーン・アチソン元米国務長官を引見した。ケネディ政権の外交顧問のアチソンは、カンボジアなどアジア諸国を歴訪中だった。

 アチソン「カンボジアのシアヌーク殿下は感情的な男で、(国境紛争を抱える)タイに激しい言葉を使っています。彼は関係改善のために私を招待してきました」

 天皇「あなたの努力でカンボジア、タイ、ベトナムの関係が改善すれば、アジアの平和にとって良い事でしょう(中略)」

 アチソン「タイと南ベトナムは共に米国の同盟国ですが、シアヌーク殿下は米国がカンボジアに敵対していると疑っています。私は、それが事実でないと彼に言うつもりです」

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