中国進出「日本企業」への悲惨な「チャイナハラスメント」――相馬勝(ジャーナリスト)

中国週刊新潮 2015年5月7・14日ゴールデンウイーク特大号掲載

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 セクハラにパワハラ、最近ではマタハラと現代日本ではさまざまな嫌がらせが問題になるが、海外に積極展開する日本企業の間では「チャイナハラスメント」が悩みの種だという。日本とはかけ離れた中国ビジネスの常識を、ジャーナリスト・相馬勝氏がレポートする。

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 夢のフロンティア――中国がそう言われて久しい。最近では失速が指摘されてはいるものの、未だ7%程度の伸びを続ける経済成長率に加えて、安くて豊富な労働力、そして何よりも13億人という圧倒的な市場規模。だからこそ、これまで日本企業は雪崩を打って中国に進出してきた。中国政府が発行する「中国貿易外経統計年鑑」によれば、2012年現在、約2万3000社の日本企業が中国に進出しているという。

 ところが、だ。

「中国のことを知らずに企業経営をするのは、譬(たと)えるならば、マンホールのふたが開いている道を、新聞を読みながら歩いているようなもの」

 と警告するのは、駐中国日本大使館経済部参事官や旧通産省の北東アジア課長を務めた、中国経済の専門家・津上俊哉氏である。

「中国には世界中から一流企業が大挙して進出しており、世界一競争が激しい市場です。地場の中国企業も酷い目に遭っている。そこへ進出するのは、ベンチャー企業を創業するのと同じようなものなのです。中国の国情を知ろうとせず、中国人と付き合おうともせずに経営するのは、あまりにも危険です」

 実は、日本企業の中には、中国に進出して、破産に至るほどの深刻な目に遭った会社も少なくない。しかし、体面やその後のビジネスを気にして泣き寝入りしたケースが跡を絶たない。

 東京・人形町。下町情緒あふれるこの街に本社を置くバイオジェニック社は、10年程前に荏原実業の子会社として発足し、後に独立を果たした会社である。

 2001年から、発ガン抑制や老化防止が期待されるアスタキサンチンという色素の製造に取り組み、04年に雲南省昆明市への進出を果たした。中国で新規に工場を建設し、製品を製造・販売するまでには地元政府との複雑な折衝や煩雑な事務作業が必要だが、ここで大車輪の活躍を見せたのが、03年に採用した一橋大出身の中国人女性A(当時36歳)だった。

「Aは当時、証券会社で働いており日本語も堪能。父親は有名な元サッカー選手で、中国の国会議員を30年近く務めた人物です。母親も有名な元バレー選手と、出自も申し分なく中国での人脈も広かった」

 と、渡部政博社長は語る。

 05年には工場が完成し、渡部氏はAを現地法人の副社長に抜擢。操業開始に当たって、Aの紹介で現地採用したのが、四川大学を卒業した23歳の男性Bと、Bの同級生だったCだという。

「BもCも真面目でよく働き、人柄も良かった。とくに、Bは将来の工場長候補で、私が自ら手取り足取り全て教えました。さらに、当時は家族ぐるみの付き合いで、月に1回のペースで彼の自宅に招かれ食事をし、こちらも彼らを招待するなどしていたのです」

 ところが、工場が軌道に乗ってきた09年、Aが突然「会社を辞める」と発言、その4カ月後にはBが「給料が良い会社に転職する」と言い出した。必死になって止めたものの、最後は、盛大に送り出してやったという。しかしその翌年、渡部氏は同じ業界の知人から耳を疑う話を聞いた。

「わが社と同じような工場が昆明市の石林地区に建設され、アスタキサンチンを製造して売っているというのです。急いで現地に行き工場を確認したら、何とうちのとそっくり。ホームページを見ると、わが社が開発した技術の特許登録番号まで記載されていたのです」

 驚いたことにこのコピー工場の幹部となっていたのが、BとC。Aは東京でアスタキサンチンの販売会社の責任者に収まっていた。

「中国では特許を取ると、それをすべてウェブで公開しなければなりません。真似されるのがオチだから、製造方法を秘密にするために敢えて私たちは特許申請をしなかったのです。それが裏目に出て、彼らに先に特許を取られてしまいました。身内だと思って“これは秘密で重要だからだれにも言うなよ”と念を入れてBに教えていたのですから、本当にバカですよね」

 渡部氏はこう振り返るが、悔恨している暇はない。今後も中国で製造、販売をしていくため、泣き寝入りせず裁判に訴えることにした。

「中国での裁判は日本企業に不利と言われましたが、今回のケースは犯罪性が明らかなので、勝てると確信していました」

 との言葉通り勝訴したものの、損害として認められたのは、たった1000元(約2万円)。

 しかし、コピー工場はBらの工場が2代目だとすれば、すでに各地に4代目、5代目のものまでできており、もう手遅れだった。

「消えた売上を考えると、私たちの損害は100億円単位です。Aたちは利益を独占したかったのだと思う。今後は、重要な技術は日本人だけに留め、中国人には教えないと決めました」

 渡部氏は中国の市場価値を考慮して、昆明の工場はそのまま残して操業し続けるが、今後は、中国ではなく、東南アジアに進出し、新たな工場を建設する計画を温めているという。

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