ナチスドイツによる包囲の中、演奏を続けた「第2のオーケストラ」 日本人作家が発掘

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 かつて「レニングラード」と称されていたロシアの古都サンクトペテルブルクに、第2のオーケストラが存在し、第2次世界大戦中も演奏をつづけていた事実が日本人ノンフィクション作家の手で明らかにされ、音楽ファンの間で驚きが広がっている。

■ナチスドイツによる封鎖の中、演奏を続けたオーケストラ

 同市のオーケストラといえば、巨匠ムラヴィンスキー率いるレニングラード・フィルハーモニー交響楽団(現・サンクトペテルブルク交響楽団)が世界的に有名。だが、大戦末期、ナチスドイツによるレニングラード包囲が始まるや否や、同楽団はすぐに疎開し、戦火をのがれていた。以後、終戦で疎開先から戻るまで、同市にはオーケストラは存在せず、コンサートなども一切なかったと思われていた。

 ところが実際には、ラジオ局に付属する「レニングラード・ラジオ・シンフォニー」(いわゆる「放送管弦楽団」)が存在。しかも彼らは、ドイツ包囲網が迫る中、疎開せずに同市にとどまり、戦火の中、コンサートや放送で演奏をつづけ、苦しむ市民を励ましていたのだという。
 そればかりか、名曲、ショスタコーヴィチ作曲の交響曲第7番《レニングラード》の楽譜を取り寄せ、エリアスベルクなる指揮者により、砲弾の雨が降り続ける中、現地初演のコンサートを実現させていた。

■日本人作家が掘り起こした事実

指揮者、エリアスベルク。

 この事実を発掘したのは、音楽作家・ひのまどかさん。
「2003年に別件の取材でサンクトペテルブルクを訪れた際に知り、しかも彼らの偉業を讃える小さな記念館まであることに衝撃を受けました」
 ひのさんは、この事実を多くの人に知らせようと決意する。
「ドイツに包囲されたレニングラードにオーケストラが存在し、戦火の中で演奏をつづけていたこと、さらに彼らが、飢えや寒さと闘いながら、交響曲第7番を現地初演した事実は、同市の人たちの間でさえ、それほど知られた話ではありませんでした」
 ひのさんは、ロシア語を一から学び、現地資料を読み込み、再び当地を訪れて関係者を探し出す。
「レニングラードを包囲したドイツは、すべてのライフラインを切断しました。そのため、初演までに、25名の楽団員が餓死しています。それでも生き残った80名の音楽家たちが、エリアスベルクの指揮の下、命と引き換えに、第7番を演奏しました。そのことが、レニングラード市民を、どれだけ勇気づけ、励ましたことでしょう。非常時における芸術の役割を、まざまざと教えられたようでした」

 結局、ドイツ軍は、約900日間にわたって包囲をつづけるが、陥落させることはできずに撤退。レニングラードは150万人の餓死・戦死者(推定)を出しながらも、包囲を耐え抜いた。その陰には、エリアスベルク指揮、レニングラード・ラジオ・シンフォニーという、誰も知らなかった音楽家たちの存在があったのだ。

■スターリンによる“抹殺”

 ある音楽評論家はこう語る。
「戦後、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルは、同市に戻るや、拍手喝采で迎えられ、ソ連当局により英雄扱いされました。その一方で、エリアスベルクとラジオ・シンフォニーの存在は“抹殺”されたのです。スターリンにとって、国家的英雄ムラヴィンスキー以上の音楽家が同市に存在してはまずかったからです。このような話を、戦後70年近くたって日本人の書き手が明らかにしたことに感動を覚えました」
 
 ひのさんの執念の取材結果は、ノンフィクション『戦火のシンフォニー レニングラード封鎖345日目の真実』としてまとめられ、先ごろ刊行された。

デイリー新潮編集部