サッカー日本代表に続いて「勝利の女神」に…“お家芸復活”を目指す「バレーボール」で“名誉総裁”を務められる「宮妃」への期待
2028年のロス五輪出場を早々に決めた男子バレーボールの日本代表。ミュンヘン五輪(1972年)での金メダル獲得以来、第2次黄金期と言われる日本男子バレーは、全盛期を迎えているともいえる。日本バレーボール協会と全国ママさんバレーボール連盟の名誉総裁を務める高円宮妃久子さまは、パリ五輪(2024年)の前に開かれた壮行会で「粘り強い戦いを!」と激励していただけに、前回、惜しくもメダルを逃したことへのリベンジを強く望んでいるという。
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回転レシーブに始まり
久子さまは2020年5月にママさんバレー連盟、そして23年4月にバレー協会の名誉総裁に就任された。久子さまとバレー界のご縁は比較的新しいが、日本バレーの歴史は「東洋の魔女」に象徴されるように、長い伝統に裏打ちされたものだ。
女子バレーは過去の五輪で、3度の黄金期を経験している。第1期の東京五輪(1964年)は、「東洋の魔女」旋風を巻き起こした日本のスポーツ史に残る金字塔だ。バレーボールが初めてオリンピックの正式競技に採用された東京大会で、日本女子は全勝かつ失ったのはわずか1セットという完璧な内容で初代女王の座に輝いた。大松博文監督の采配で「回転レシーブ」を最大の武器に、圧倒的な守備力で世界を圧倒し、日本女子バレーがまさに全盛期を迎えた大会だった。
第2期黄金期はモントリオール五輪(1976年)での金メダルだ。東京五輪後の2大会はソ連(現・ロシア)に阻まれ、銀メダルに甘んじたが、名将と謳われた山田重雄監督の指揮で、スピードと組織力を生かした「コンビバレー」で予選から決勝まで1セットも落とさない「完全ストレート勝ち」での金を獲得した。
しかしその後、日本女子バレーは長い低迷期を迎え、シドニー五輪(2000年)では初の予選敗退を経験。世界レベルの高さとパワーに圧倒された。それを打破したのがロンドン五輪(2012年)だった。眞鍋政義監督のもと、世界一のセッターと称された竹下佳江選手や絶対的エースの木村沙織選手、大友愛選手らを擁して「データバレー」を導入。28年ぶりとなるメダル(銅メダル)をもぎ取り、世界に「お家芸の復活」を印象付けた。
一方で女子チームはリオ五輪(2016年)で5位、自国開催の東京五輪(2020年)では10位、そして前回のパリ五輪でも9位と再び低迷。スポーツ紙記者は「東洋の魔女から始まった女子日本代表の栄光は、完全についえたというのが往年を知るオールドファンの一致した見解でした」と回想するが、「見解は、あくまでも過去形です」と付け加える。
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