【豊臣兄弟!】「殿下こそが大明神」…秀吉を持ち上げた山田涼介の秀次、同時代の宣教師が記した「意外な素顔」
「深く道理と分別をわきまえた人」
イエズス会宣教師のルイス・フロイスは『日本史』のなかで秀次に触れている。関白就任前についてはこう記している。
〈この若者(孫七郎殿 註・秀次のこと)は伯父(秀吉)とはまったく異なって、万人から愛される性格の持主であった。特に禁欲を保ち、野心家ではなかった〉(松田毅一・川崎桃太訳)
現在、『豊臣兄弟!』で描かれている秀次像とかなり異なる。また、関白になった秀次についても、次のように書いている。
〈関白の甥である新関白秀次は、弱年ながら深く道理と分別をわきまえた人で、謙虚であり、短慮性急でなく、物事に慎重で思慮深かった。そして平素、良識ある賢明な人物と会談することを好んだ。彼は関白から、多大の妄想と空中の楼閣とも言える、上記のような内容の書状を受理したが(註・朝鮮半島への出陣準備を命じ、明を征服した後は秀次を明の関白にする、などと書かれた秀吉の書状)、ほとんど意に介することなく、かねてより賢明であったから、すでに得ているものを、そのように不確実で疑わしいものと交換しようとは思わなかった〉
キリシタンに対して厳しい態度を取るようになった秀吉に対し、フロイスの筆致は手厳しい面がある。その分、秀次を持ち上げた、という見方もある。しかし、当時の日本人が読む可能性がなかったポルトガル語での報告で、秀次を持ち上げたところで、いったいなんになろうか。秀次に関するほかの記述がみな抹殺されたなか、フロイスの報告だけが残り、そこには一定の真実がふくまれていると考えるのが妥当だろう。
そうであるなら、秀吉は自分に媚びない秀次が気に入らなかったのかもしれない。それ以上に、秀次が「深く道理と分別をわきまえた人」であったがゆえに、秀頼にとっての脅威と捉えた可能性もあるだろう。
いずれにせよ、秀次を異常な人物だと捉えるのは、秀吉および徳川のプロパガンダの影響から、いまなお抜けられていないからだと思われる。『豊臣兄弟!』もその例外ではない。
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