【豊臣兄弟!】「殿下こそが大明神」…秀吉を持ち上げた山田涼介の秀次、同時代の宣教師が記した「意外な素顔」

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秀吉に媚びを売る愚鈍な若者に描かれているが

 すでにバテレン追放令を発布し、宣教師の海外追放を命じた羽柴秀吉(池松壮亮)は、京都に完成した聚楽第(京都市上京区)に、キリシタン大名の高山右近(市川知宏)を呼び出して信仰を捨てるように迫った。しかし、右近は決して首を縦に振らず、ついに秀吉は右近に改易を申し渡した。NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の第42回「北野大茶湯」(11月1日放送)。

 右近の姿勢を見て、弟の秀長(仲野太賀)が秀吉に「あれほどの信心を貫かれては致し方あるまい。相手がデウスでは、さしもの関白殿下でも勝てぬな」と述べると、側に座っていた甥でのちの関白の秀次(山田涼介)が反論した。「さようなことはありませぬ。私にとっては殿下こそが大明神。日の本の民を導くのは殿下にございまする」。

 その後、秀次の案で北野の大茶会が開かれたが、その最中、秀吉をねらう刺客が殺されたのに続き、物陰に潜んでいた少年が連行された。秀次は「おぬし、この賊の仲間か? ではなぜこちらを伺っていた? 何者だ? 親はどうした?」と立て続けに厳しく問いかけ、秀長が「やめよ、まだ子供ではないか」というのを無視して、「はっきり申せ!」と怒鳴りつけた。結局、鍋丸というその少年は、かつて秀長の許嫁だった直(白石聖)が命を賭して助けた娘の子だったのだが、ともかく、秀次は秀長から諭されれば諭されるほど厳しい態度になった。

 このように秀次は、ことあるごとに秀長と対立し、秀吉に媚びを売る人物として描かれている。

『豊臣兄弟!』では「いい人」に描かれすぎていた秀吉だが、天下一統が近づくにつれ、横暴さを増している。それを秀長が軌道修正する、というのが、このところの流れになっている。実際、秀長は秀吉の暴走を食い止め、諸大名を豊臣政権につなぎ止める「かすがい」の役割を果たした、と評価されている。だからこそ、天正19年(1591)1月に秀長が死去したあと、秀吉は狂気の沙汰を連発して自滅していった、と考える向きは多い。

 だとすると、『豊臣兄弟!』における秀次の位置づけは明白だ。秀長とは対照的に愚鈍な人物として描いているのだろう。だが、史実の秀次が愚鈍であったかというと、精査すればするほど、そうは考えられないのである。

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