【豊臣兄弟!】戦国武士は全然「粗食」ではなかった…「腹が減っては戦ができぬ」を支えた1日6合の米と驚きの“戦めし”

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武士が持ち歩いた味噌の効用

 しかも、戦国時代の武士は、ビタミンやミネラルが豊富なこの米を、1日に6合程度食べていたといわれる。炊く前の米900グラムとすると、約3150キロカロリーにもなる。農林水産省によれば、活動量の少ない成人男性に必要なエネルギーは、1日2200±200キロカロリーが目安とされるので、かなり多かったことになる。要は「腹が減っては戦ができぬ」のである。籠城時には1日に一人あたり1升(約1.5キロ)もの米が支給された、という記録もある。

 次いで特徴的なのは、味噌をよく摂ったことだった。良質な植物性たんぱく質で、ビタミンやミネラル、食物繊維などが豊富な発酵食品である味噌。行軍や戦いで汗をかくと水分とともに失われる塩分を補うのにも有効だった。そもそも味噌は「栄養素の宝庫」だといわれるが、戦国の武士にとっては「最強の食糧」だったと考えられている。

 平時はいまと同じく味噌汁が飲まれたが、戦時には兵士たちは「味噌玉」を携行した。味噌を干したり焼いたりして丸めたもので、竹の皮などにつつみ、腰に下げた。湯に溶かせばいつでもどこでも手軽に味噌汁をつくれたのだ。また、里芋の茎を味噌や酒で煮て乾燥させ、棒状にした「芋がら縄」も一般的で、これを体に巻きつけて携行した。いわば戦国版のフリーズドライ味噌汁で、ちぎって湯に溶かせば、すぐに具入りの味噌汁になったのである。

 また、貴重なたんぱく源でもある味噌は、黒米などと一緒に食べると、必須アミノ酸を効率よく摂取できたのだという(9種類の必須アミノ酸がすべてそろって、初めてたんぱく質を正しく合成できる)。すなわち、味噌によってエネルギーや糖質に加え、たんぱく質を補うことができ、その結果、この時代の武士は筋肉を維持しやすかったと考えられている。

梅干しは「戦国時代のドリンク剤」

 魚や肉も貴重なたんぱく源だった。当時、魚や肉はいまよりはごちそうだったため、秀吉の九州征伐に動員された20万とか25万といった膨大な兵力が、それを十分に食べることができたわけではないだろう。とはいえ、一般に考えられている昔の日本以上には、魚や肉はふつうに食べられていたようだ。当時の日本では、とくに食肉は原則として禁忌とされていたものの、イノシシやシカ、クマなどのいわゆるジビエは、滋養強壮のための薬とみなされたので、それなりに食べられた。キジやカモなどの野鳥を食べることにも躊躇はなかったのである。

 ほかには梅干しも、軽量で持ち運びやすいことから陣中食として重宝された。戦時に携行されることが多かったのは、梅肉に米の粉や砂糖などを混ぜた「梅干丸」。梅干しにふくまれるクエン酸などの酸味成分には、乳酸などの疲労物質の生成を抑える効果があるともいわれ、梅干しは「戦国時代のドリンク剤」のようなものだった、という指摘もある。

 また、酸っぱい梅干を思い浮かべると条件反射で唾液が出るので、行軍中の喉の渇きを潤す効果も期待された。殺菌や抗菌効果も知られていて、傷口の消毒にも使われたという。

 このように戦国時代の武士たちの食事は、日本人の伝統のように信じられている粗食とは少々異なり、栄養価が豊富で量も多かった。「腹が減っては戦ができぬ」は、まさに的を射た、地に足のついた言葉だったのである。戦のたびに命を賭した戦国の武士たちにとって食べ物に関する知恵は、思いのほか重要だったようだ。現代に生きる私たちが元気に暮らすためのヒントも、そこに見出せるかもしれない。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動を行うほか、歴史的な視点を応用し、経済から文化まで現代のさまざまな社会状況にも言及。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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