「貧乏生活から得たものは大きい」 石原慎太郎氏がなつかしむ一橋大学時代

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 生命を脅かすレベルの貧困は別として、貧乏の体験が財産になるというのは古今東西で言われること。

 東京都知事や国会議員、ベストセラー作家といった肩書だけ見れば、セレブのように見える石原慎太郎氏も、学生時代には貧乏生活を送っていた。

 理由の一つは父親を早くに亡くしたこと。もう一つは弟・裕次郎さんの浪費癖だ。新著『昭和の風雲児』の中で石原氏は次のように振り返っている。

「父親が死んで、収入が途絶えた上に、弟の浪費癖があり、家財は傾いてきて弟は家計のことなど考えぬまま、依然として遊びほうけの放蕩三昧だった」

 そのため石原氏は希望の進路も変更した。京都大学文学部から一橋大学に変えたのは、公認会計士になって家計を助けるためだった。

 もっとも、その一橋大学での生活は一生の財産となったようだ。『昭和の風雲児』所収「貧乏生活から得たものは大きい」から抜粋してみよう。

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素うどん、ジャムパン、甘食

 一橋大学では、寮に入って貧乏生活を堪能することになった。ここで味わった貧乏というものは、本当に豊饒な体験だったと今でも思う。思い返す度に懐かしく、何とも言えない気持ちになる。

 朝食は素うどんに決まっていて、それも時間通りに駆けつけないとコックがドアを閉めてしまう。棚には来なかった学生の分のうどんが並べられ、腹が減った我々はそれを争って食う。そういう時代だった。

 間食をしたくても金がない。手元に十五円しかなかった時の選択の苦しさも懐かしい。当時の菓子パンは、ジャムパンでもアンパンでも定価は十円。一番安い甘食は五円。一番おいしいカレーパンは十二円だった。これを買うと、もうそれしか手に出来ない。結局、ジャムパンと甘食で我慢したことがあった。

 寮には本当に貧乏な連中が多かった。あの頃は父親がまだ復員してこないとか、戦時中に公職に就いていたためにパージされてしまって家に収入が無いといった学生が多かった。私自身も今でいう母子家庭の子である。

 学生食堂の横にある購買部に、美人の姉妹がいて、みんなの憧れの対象だった。あるやつが、キャラメルを食いたくて、ばらでキャラメルを買いに行き、五個くれと言うと、その女性が哀れんで、六個くれたことがあった。その男は狂喜して、「あいつは俺に気がある」と喧伝して回る、そんな時代だった。

「兄貴は酒好きだから」

 私も酒が好きだったので、そこに出かけたものだが、金がないから選択肢の幅は狭い。ビールなんてものは当時高級品だから、誰も飲まない。自然と日本酒ばかりになる。

 ある時、金は無いが飲みたくなって、店に行って安い合成酒を頼んだ。すると店のおやじが、

「何で合成酒なんか飲むの。体によくないよ。焼酎お飲みよ、焼酎」

 と言う。

「焼酎はだめなんだ」

「何でだめなの」

 実は寮に入る時に、母親にいわれたことがあった。

「寮に入ったら、絶対焼酎なんか飲んじゃだめよ」

 これには弟の告げ口も関係していたようだ。兄貴は酒好きだから、寮に入ると、きっと焼酎を飲む、飲ましちゃだめだといったらしい。その頃は、質の悪い焼酎を飲んで目が潰れた人がいる、といった話がまことしやかに言われていたのだ。

 そんなことから焼酎を断っていると、

「そんなことないよ、焼酎は安くてうまいんだから」

「いいよ、俺は、合成酒で」

「なら一杯奢るから、お飲みよ焼酎を」

「そう、それじゃあ奢ってもらおうか」

 飲み方もわからなかったので、向こうが勧めるままに梅割なるものにしてもらった。

 小さな受け皿の上にコップを置いて、その中に少しだけ梅酒を注いで、さらに焼酎を注いでくれる。コップから焼酎がこぼれていくので、

「おい、こぼれてるよ」

 と言うと、

「いや、この受け皿にこぼれた分が奢りなんだよ。だからまずコップをとって受け皿にこぼれた焼酎を飲む。これが焼酎の飲み方なんだよ」

 そう言われて飲んだら結構うまかった。以来、すっかり焼酎党になってしまったのだった。

 酒といえば、焼酎の他には寮の仲間と金を出し合って、安いウイスキーを飲んだりした。四人部屋で一人百円ずつ出し合うと三百六十円のトリスと乾き物のつまみが買えた。

■裕次郎の彼女

 私はそんな貧乏生活をしていたのだが、その頃、弟には年上の彼女がいた。東北の方の町長の娘で、姉さんと二人して東京に憧れて出てきて、クラブかバーのホステスをやっている気のいい女性だった。

 ある時の土曜日、私が逗子に帰るのを知っていて、「兄貴ちょっと寄れよ」と電話をしてくる。彼女の金で奢ってくれるようで、有楽町で落ち合って連れて行かれた先は新しいナイトクラブ。普段は居酒屋くらいしか行けない私にとっては、初めてのナイトクラブ体験だった。

「お兄さん、何飲む? 何かカクテルをお飲みなさい」

 カクテルなんぞわからないから彼女に勧められるままにキュウバ・リバー、ブランディ・サワー、マンハッタンといったカクテルを飲み、こんなにうまいものはないと思った。そんなカクテルの名前を何のためかその場でそっとコースターの裏にメモしたものだった。

貧乏が育む夢もある

 (略)作家になってからレイモン・アロンと知り合うことになった。アロンはサルトルと実存主義を作った哲学者で、後にサルトルとは喧嘩別れをする。サルトルは共産主義へ、アロンは敬虔なカトリック教徒になっていった。

 アロンはフランス人ながら英語が堪能で、その頃の私は英語が今よりも出来たこともあり、フランス大使館に呼ばれて食事しながらあれこれ話をするという機会が三、四回あった。

 当時は世界中で学生運動が盛んだった頃で、もともとはヨーロッパで始まった運動を日本の若者も真似して東大から始まった学園紛争は結局何も生み出さず、京都では馬鹿な学生がそこかしこに立てこもり、それだけではなく、学園内のせっかく育った樹齢何十年かの並木を切り倒して薪にして焼いたりもしていたものだった。

 そんな学園紛争の不毛さについてアロンと話すと、彼はシニックに肩をすくめながらこう言った。

「私はむしろ当節の若者に同情する。それはわれわれの責任なんだな」

 何の責任かと問うたら、

「私たちは彼らから青春が正当な青春とありえるために不可欠な条件を奪ってしまったんだから」

 その条件とは何かと問うたら、

「三つある。第一は若者たちに恐怖と早逝をもたらす戦争だ。第二はさまざまな願望と夢を育む貧乏だ。第三は、命がけで戦いぶつかりたくなるような偉大な思想だ。イデオロギーは思想とはいえないだろうに。共産主義なんてもはや思想には値しないじゃないですか」

 この言葉は私に鮮烈な印象を残した。逆説的ながらまさにその通りで、私自身貧乏なるものを若い頃に経験できたのは、しみじみ素晴らしかったと思う。

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 石原氏の思想に新たな光を当てた考察は、新潮QUE掲載の記事「石原慎太郎に見る『真のエゴイズム』の価値」で読むことができる。