【豊臣兄弟!】秀吉の天下取りを支えたのに、まさかの領地没収…最後は国外追放に追い込まれた“悲運の武将”とは

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ほかの大名たちの背筋が寒くなった理由

 羽柴秀吉(池松壮亮)は京都における政庁兼住居として、平安京大内裏の跡地に壮麗な城郭である聚楽第(京都市上京区)を築いた。その完成間もない絢爛たる城に、高山右近(市川知宏)が呼び出される。キリシタンの右近は胸にロザリオを下げているが、秀吉はすでに九州平定直後の天正15年(1587)6月19日、筑前(福岡県西部と北部)の博多(福岡市博多区)で伴天連追放令を発令し、宣教師に国外退去を命じていた。

 秀吉と秀長(仲野大賀)に対峙した右近は、信仰を捨てて大名の地位にとどまるか、信仰にしがみついて大名の地位と所領を捨てるか、秀吉から選択を迫られる。...

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