【ブラッサム】元夫の弟と再婚、夫を残して上京し出会った別の男と“即日”……「恋するのが怖い」珠とは違いすぎる宇野千代の恋愛遍歴
宇野千代にくらべると品行方正で清廉な葉野珠
作家の宇野千代(1897-1996)が若いころ、男性に対して奔放だったことはよく知られている。それはNHK連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」ヒロインのモデル史上でも傑出しているので、さすがに朝の時間帯にそのまま描くことはできないと思っていた。予想どおりに『ブラッサム』で石橋静河が演じる葉野珠は、宇野千代にくらべるとかなり品行方正にして清廉なお嬢様である。
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では、いま『ブラッサム』で描かれているころの宇野千代は、どんな女性だったのか。ドラマでは現在、珠は東京で、最初の夫の弟である木村保(金子大地)の世話をしており、ゆくゆくは男女の仲になっていくのが見通せる状況である。実際、木村保のモデルである藤村忠は千代の2番目の夫になるが、では、その馴れ初めから破綻まで、どんな経緯をたどったのか。朝ドラでは決して描けないだろう宇野千代の現実を追ってみたい。
その前に、『ブラッサム』で珠と保がどう描かれてきたか、おさらいしておこう。珠は同僚教師の島村辰彦(工藤阿須加)との恋愛がスキャンダルになり、職を追われたばかりか悪評が立ち、岩国に居づらくなっていた。そんなとき、かつての夫の弟で京都の第三高等学校に通う保と再会する。保の母で珠には伯母に当たる照子(山田真歩)から、京都に行って帝国大学をめざす保の世話をしてくれないか、と打診された珠は、一度は断るが、保から帝大に合格したので東京で暮らすという手紙をもらい、迷った末に上京した。
とはいえ、保が暮らす「三好」は学生用の下宿。いとこ同士とはいえ他人の男女が一つ部屋に住むわけにはいかず、二人は兄妹を装った。だが、「三好」の女将のマキ(中村優子)は二人の関係に疑念を深めたので、岩国にいられなくなった珠が、親のはからいで東京の保と暮らしている、と事情を説明して受け入れられる。その際、珠はマキに、失恋の痛手から恋するのが怖いが、保からは「待つ」と伝えられていると告げた。
それから1年がすぎ、保の父親が入院して仕送りが止まると、珠は保を学業に専念させるため、西洋レストラン「悠樂軒」で働きはじめ、『首都公論』の編集長の黒崎大三郎(遠藤憲一)や作家連中と出会う――。
元夫の弟を広島に迎えにいっていきなりお泊り
千代も大正5年(1916)夏、最初の夫の弟である藤村忠と会った。だが、その後の話はドラマより単純で、朝ドラでは描けない千代の奔放さが弾けている。忠の母で千代の伯母にあたる藤村カツから、忠を世話したいが夫を残して京都には行けない、と聞かされ、自分に忠のもとへ行ってほしいといわれていると受けとり、しかも、忠のことを好きだと感じたのだという。
そんなとき忠から、知恩院の別院内に引っ越したという絵葉書が届き、さらに冬になると忠は、12月20日に岩国に帰るが、途中で広島に寄るので迎えに来てほしい、と手紙で伝えてきた。満19歳の千代はその日を心待ちにし、しっかり化粧をして迎えに出かけ、まだ岩国への電車がある時間なのに、忠が広島の旅館に入るとついていった。宇野千代は『生きて行く私』(毎日新聞出版)にこう書いている。〈枕は二つであったが、敷布団は一つであった。やがて、私たちはその同じ寝床の中で寝た〉。
要するに、千代は岩国に居づらくなるほどの状況ではなく、なかば自分の意志で、なんとなく好意をいだいた忠のもとに赴き、失恋の痛手など引きずらず、すぐに忠と男女の関係になったのである。その後、二人の生活は東京ではなく、まずは京都からはじまった。それも知恩院別院でのきわめて密着した生活だった。千代は書く。〈たった六畳一間の中の、一つの寝床の中に一緒に寝る生活。それでも私は、それが、結婚生活と名づくべきものであるとは、夢にも思わないのであった〉(前掲書)。
二人が東京へ移ったのは、それから2年近くして、忠が東京帝大に合格してからのことだった。その間、忠の父が裁判所を定年退職し、仕送りが途絶えたため、千代は質屋に通ったほか、中国人留学生に日本語を教えるなど、働きづめになったという。
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