認知症になった夫を支える「41歳年下妻」の奮闘…実は、“夫”は「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」の演出も手掛けた“伝説的な漫画家”だった

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 夫と大きく年齢が離れた、いわゆる「年の差婚」といえば、加藤茶夫妻が有名だ。2011年6月、23歳の加藤綾菜さんが、68歳の加藤茶さんと入籍し、年齢差45歳のカップルとして話題となった。

 いま、それに次ぐ、「41歳差」のカップルが「マンガ」で話題となっている。マンガ家〈恋池りも〉(こいけ・りも)さんが描いた『だからわたしは41歳年上の夫と暮らしてます』(バジリコ刊)である。昭和57年生まれの〈りも〉さんは、18歳のときに、59歳の相手と出会い、次第に親しくなって同棲生活へ。

 そして〈りも〉さんが28歳の時、69歳の相手と入籍する。そのとき、〈りも〉さんの両親は52歳。父親より17歳も年上の夫だった。

〈りも〉さんは、41歳も年上の男性の、どこに魅力を感じたのだろうか。このたび、著者〈恋池りも〉さんに、お話をうかがうことができた。だがその前に、この「41歳年上の夫」とは、どういうひとなのだろうか……。実はこの男性、ある世代にとっては、まさに「神」のような存在――マンガ家、アニメーション演出家の〈真崎守〉(まさき・もり)さんだったのである。(前後編の前編)

〈コミケ〉の原型をつくった、伝説のマンガ家

 だが真崎守と聞いても、いまではピンとこない若い方がほとんどだろう。往年のマンガ界に詳しく、ご本人にも何度か会っているという、現在68歳の元編集者氏に、解説してもらった。

「真崎さんは、1970~80年代を代表する、伝説のマンガ家・アニメーション演出家です。生まれは、太平洋戦争の開戦直前、1941(昭和16)年の3月。高校卒業後、貸本マンガ家としてデビュー後、手塚治虫が設立した虫プロダクションに入社し、初期TVアニメーションの世界で演出家として活躍するようになります」

 日本初の連続TVアニメーション「鉄腕アトム」や、これも日本初のカラー作品「ジャングル大帝」、おとな向け作品として話題となった「佐武と市捕物控」(原作:石ノ森章太郎)などの演出を手がけた。

「同時に、虫プロ関連会社が発行していた月刊誌「COM」では、読者投稿コーナー〈ぐら・こん〉を監修、〈峠あかね〉のペンネームでマンガ評論・指導も手がけました。ここからは、吾妻ひでお、勝川克志、樹村みのり、あだち充、山岸凉子、竹宮惠子、諸星大二郎、いしいひさいちといった錚々たるマンガ家を輩出しています。この〈ぐら・こん〉が、のちに全国的な交流組織になり、掲載誌「COM」休刊後、その精神を引き継ぐ形ではじまったのが、現在の〈コミックマーケット〉=通称〈コミケ〉です」

 1968年に虫プロを退社後は、ふたたびマンガに力を入れはじめ、戦後マンガ史にのこる名作『ジロがゆく』(1969~71年、「別冊少年マガジン」連載)、『はみだし野郎の子守唄』(1969~70年、「ヤングコミック」連載)の2作で、1971年の講談社出版文化賞を受賞する。

「ともに、抑圧された環境のなかで抗いながら生きる若者を描いていましたが、特に『はみだし野郎の子守唄』は毎話、歌謡曲やフォークソングを題材に、詩的で独特な表現を完成させました。そのほか、少年誌でよくこんな芸術的なコマ割りが許されたと思う『キバの紋章』(1971年、「週刊少年マガジン」連載)、地方高校生と機動隊の“攻防”を題材にした『共犯幻想』(原作・斎藤次郎、1972~73年、「週刊漫画アクション」連載)などで、まさに1970年代を代表するマンガ家のひとりとなりました」

 その後は、アニメーションにも復帰し、劇場映画「夏への扉」(原作・竹宮惠子、1981年)、「浮浪雲」(原作・ジョージ秋山、1982年)、「はだしのゲン」(原作・中沢啓治、1983年)などの演出を担当した。

「とにかく熱い方で、相手のことなど考えず、仁丹を大量に口に放り込みながら、言いたいことをぶちまけるタイプでした。でも、時々は言い過ぎたかなと“反省”するようで、『ま、そういう考え方もあるということだよ』と、すごく優しい表情で笑うんです。これに、コロリとなってしまう。よい意味での、典型的な人たらしでした」

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