【豊臣兄弟!】家康には秀吉以上にやっかいな相手がいた…徳川を二度苦しめた武将 関ヶ原では秀忠の大軍を足止め

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一筋縄でいかなかった秀吉と家康だが

 羽柴秀吉(池松壮亮)は徳川家康の重臣である石川数正(迫田孝也)を大坂城(大阪市中央区)に呼び、「頼み」を伝えた。それは次のような内容だった。「真田と和睦してもらいたい。(中略)真田がわれらを頼ってきたからには、守ってやらねばならぬ。この関白秀吉の許しなく、これ以上(註・真田と)戦することはまかりならぬ」。

 だが、浜松城(静岡県浜松市)に戻った数正は、ほかの家臣たちの前で家康に秀吉の「頼み」を伝え、総スカンを食らう。「いまさら真田と和睦などできぬ」「秀吉と戦い抜くだけだ」と反発する声ばかりで、居場所がなくなった数正は、ついに家康を捨てて秀吉のもとへ出奔した。...

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