美智子さまのご結婚は「“身分が違いすぎる”と何度も辞退した」 「上皇后陛下」92歳 実母が明かしていた「イジメの真相」

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手袋事件

 しかし、世間がご結婚に向かって沸き立つ中、最初の美智子妃いじめが始まっていた。婚約会見で美智子さんは、Vネック7分袖の象牙色のドレスを着て、白い鳥羽根の輪の帽子を被り、ミンクのストールを手にしている。ところがドレスに合わせた手袋が手首と肘の中間までしかなく、肘が露わになっていた。

 これに「手袋が短すぎる、肘まで隠れる手袋を着用するのが礼儀」と指摘する声が寄せられたのである。そして「だから由緒ある家柄の人でなくては」「作法の心得がない」という悪意ある言葉が加わり、旧皇族旧華族の間にさざなみのように広がっていったのだった。

 もっともこの手袋は、東宮職が用意したものであった。かつていじめの記事を書いたとき、私は美智子妃の母・正田富美子さんに呼ばれたことがあった。浩宮(現・天皇陛下、以下同)が将来大きくなってこんなことがあったのか、と知るとき、誤解のないようにしておきたい、とその顛末を話してくれた。服装については、婚約会見の数日前に東宮に相談し、写真も撮って見せていたのだという。その際、黒木侍従から長い手袋を付けるのがマナーといわれ、それが手に入らなかったため、黒木侍従が探し、女官を通じて皇后陛下から借りたのだという。非難の的になったのは、その手袋だったのである。

カメラのフラッシュが…

 いじめの第二幕は35(1960)年3月の浩宮出産直後のことである。

 美智子妃が生後2週間余の浩宮を抱いて宮内庁病院から東宮仮御所に戻る際のこと。当然、病院の周辺では新聞のカメラマンがその姿をとらえようと待ち構えている。お二人の乗った車に次々にフラッシュが浴びせられたが、病院の玄関口を出たところで、車の窓がするすると開き、母子がはっきり見えるようになったのである。美智子妃は両手で浩宮を抱いていたから、同乗した東宮女官か運転手が気を利かして操作したとしか思えない。だが、これが一部から指弾されるのだ。

「わざわざ窓を開けてカメラマンに撮らせるのは常識に反する」

「赤ん坊にフラッシュを浴びさせるなんて」云々。

 その3ヵ月後、赤坂御苑に新御所が完成して引っ越す際にも、同様の事件が起きた。新居に入る時、明仁親王と浩宮を抱いた美智子妃は玄関の少し前で車を降り、宮内庁職員らに出迎えられるようにして中に入った。周りには新聞のカメラマンたちがいた。彼らは子宝に恵まれ、幸せ溢れる若き母親の写真を撮った。だがそれが新聞に載るや、こんな電話が相次いで東宮職に掛かってきたという。

「自分の子を抱いたところを写真に撮らせるとはどういうことか」

「高貴な身分の女性はわが子を抱いたところを他人に見せたり、写真に撮らせたりしないはずです」

 確かにそうした伝統はかつてあった。だがこれも美智子妃に非はない。幸せなご一家の様子を撮影したいという宮内庁記者クラブの要請に宮内庁が応じ、お膳立てしたものだったからだ。

宮中の伝統を変える

 もっとも子育てに関しては、皇太子夫妻は宮中の伝統を大きく変えている。それまで天皇家や宮家では、子どもが生まれると、乳人(めのと)が授乳し、母が母乳で育てることはなかった。美智子妃はこれを改め、母乳で育てた。さらに皇太子は幼いうちに両親と別居して暮らすしきたりだったが、親子同居を貫いた。

 子どもを抱いていただけでこんな中傷をされるのだから、こうした「宮中改革」でも相当の陰口が交わされたのは、想像に難くない。

【後編】では、美智子さまと香淳皇后との知られざるご関係について深掘りする。「手袋事件」や写真をめぐる騒動にも増して、もっとも上皇后陛下を追い詰めた事件とは何か――。

デイリー新潮編集部

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