「最近、転職されたんですか?」…“バス旅”で人気再燃「太川陽介」が不遇時代に“コンビニ店員”から尋ねられた言葉
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第89回は太川陽介さん。今は路線バスで旅をする姿でおなじみですが、アイドル歌手、司会、俳優と多彩な活動を経て現在に至ります、でもその人生は決して平たんではなく……。(文中敬称略)
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アイドル全盛時代の名物番組
1974年4月から86年4月まで、まさにアイドル全盛時代を象徴する番組として10年以上も放送されたのが、NHK「レッツゴーヤング」。70年代は作曲家の都倉俊一(78)らがメイン司会を務め、81年からは太川陽介(67)に代わり、ほぼ重なる形で最後まで司会を担当したのが石川ひとみ(67)だった。
1986年の番組終了から26年目となる2012年春のこと、同番組の卒業生であるトップアイドル13組が一堂に会するコンサートが開催された。その模様が翌13年、CS放送の歌謡ポップスチャンネルで放送されたのだが、それに合わせて同コンサートに出演した太川と石川、柏原芳恵(61)と岩崎良美(65)の4人による「今だから話せる『レッツゴーヤング』座談会」記事が実現した。その模様は3回に分けて掲載した。
4人は3人が50代、柏原は40代と若々しく、「レッツヤン」時代を思わせる賑やかな集まりになった。
同番組に出演していたアイドルに共通しているのは、一言でいえば屈託のなさだと思う。暗さがあまり感じられない。それだけいい時代だったのかもしれない。
座談会では沢田研二(78)がリハーサルで怒った話。メイン司会になる前の太川が、狩人やピンク・レディーが司会を担当していたことに嫉妬していた話。それからその頃、たまたま城みちる(68)が伊藤咲子(68)と付き合っていたことを告白したのだが、その流れで当時の恋愛事情がどうだったのか……などの話に花が咲いた。
「レッツヤン」終了後は各々が活躍し、山も谷もあった人もいるわけだが、太川には「死ぬまでにやりたいこれだけのこと」のテーマで22年に、石川には「私の人生を変えた一曲」のテーマで23年にインタビューすることができた。
石川は、今も昭和の歌謡特集などで上位にランクされるヒット曲「まちぶせ」について語った。歌手になったきっかけは、「天地真理に憧れたこと」というのがいかにもな感じ。「まちぶせ」はユーミン(荒井由美)の曲。最初は三木聖子が歌った。それを通っていた音楽学校で聴いて毎日練習し、歌手になって5年目、最後の賭けで「『まちぶせ』を歌いたい」とスタッフに直訴して願いが叶った。
華やかなアイドル人生に影が差すのは、番組終了後の87年のこと。B型肝炎を発症して一時、闘病生活を送った。その後、石川はB型肝炎に対する偏見、誤解を解くために本を出し、講演活動を行った。そして「まちぶせ」は今では熱烈な石川ファンだけではなく、平成と令和の若い世代にも支持されて時々に話題になる。
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