「選手の薬物逮捕が結果オーライのハッピーエンドに」 「ゾンビたばこ」でクビの連鎖の広島がすがるのは37年前の超サクセスストーリー

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デービスの代わりに

 球団は頼れる助っ人大砲の電撃逮捕を受けて即座に契約を解除。社会的制裁を受けたということで薬物所持の罪での起訴をまぬかれたデービスは帰国の途についた。

 シーズン途中に突如として主力打者を失った近鉄は、支配下登録のデッドラインが迫る中、新助っ人獲得に動く。目をつけたのが中日の2軍でくすぶっていたラルフ・ブライアント(当時27歳)だった。ブライアントは1988年5月に中日へ入団したばかりで、年俸は当時のレートで1000万円に満たず、6000万円ほどとされたデービスとは格段の差があった。

 当時の日本のプロ野球は一軍登録できる外国人選手が「2名まで」に制限されていた。中日の1軍には郭源治とゲーリー・レーシッチが定着していたため、ブライアントは2軍での待機を余儀なくされていたのだ。

 いくつかの幸運が重なって中日との間で金銭トレードが成立し、ブライアントは近鉄へ移籍。期待を良い意味で裏切って出場74試合で34本塁打と打ちまくった。その活躍は決してマグレではなかった。

「10・19」から4打席連続本塁打

 ブライアントを獲得したこの年、近鉄は10月19日のロッテとのダブルヘッダーで勝ちきれず、惜しくも優勝を逃した。この日の死闘は「10・19」としてプロ野球ファンならずとも伝説の1日として記憶されている。

 この年優勝したのは西武だった。西武は1985年から1988年までパ・リーグ4連覇、さらに1986年から3年連続で日本一を達成していた黄金期真っただ中である。
迎えた翌1989年シーズンも秋山幸二、清原和博、デストラーデによる「AKD砲」を擁する強力打線と、エース渡辺久信らを擁する投手陣は隙がなく、絶対王者と言ってそん色なかった。

 しかしこの年、近鉄も食らいついていた。西武、オリックスと激しい優勝争いを終盤まで展開。最大の山場となったのが10月12日に西武球場で行われた西武とのダブルヘッダー。西武の連勝で5連覇がほぼ決まるというシチュエーションだ。

 この時、西武の前に立ちはだかったのがブライアントである。この大一番におけるブライアントのバットは神がかっていた。第1試合から第2試合にかけて郭泰源や渡辺らから、追撃のソロ本塁打、同点の満塁本塁打、勝ち越しソロ本塁打などを連発。1日で4打席連続本塁打を放って西武を撃破したのだった。

そしてMVPに

 この年、ブライアントは49本塁打、121打点をマークして本塁打王を獲得。4連覇中だった王者の牙城を崩し、近鉄を悲願のリーグ優勝へと導いた。そしてパ・リーグのMVPに輝いた。

 1988年6月に起きたデービスの逮捕・解雇という不祥事が引き金となり、中日の2軍で1軍枠の壁に阻まれていた格安年俸のブライアントが近鉄へ移籍。そこからわずか1年余で、球界を支配していた王者・西武を力でねじ伏せてリーグ優勝を果たし、本人がMVPへと登りつめるまでのサクセスストーリーは、どんな著名な脚本家でも書けない内容かもしれない。

「広島の場合、薬物事件を起こして解雇されたのは主力ではないですし、クビになった面々は基本的にシロとされているわけですが、過去のこういった話が改めて出回っている時点で、ブライアントの再来とは行かないまでもそれに類するものを広島ファンは求めているということなのかもしれません。もうずいぶん前からブライアントのようなレベルの強打者が海を渡ってくることはなくなっていますが、もちろん日本の野球にフィットして大活躍する助っ人が出てこないとは限りません」(スポーツ紙デスク)

デイリー新潮編集部

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