駅前にいた「靴みがき」は、なぜ靴を履かずに“裸足”で座ったのか……その「深い理由」を推測する

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 近年はほとんどその姿を見ることがなくなったが、昔はターミナル駅の周辺に「靴みがき」を生業にする人々がたくさん並んでいたのを覚えている方もいるだろう。

 国際日本文化研究センター所長で文化史家の井上章一氏は、新刊『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮選書)で、靴みがきの人々が仕事の際に靴を履いていないことが多かった理由を推測している。同書から一部を再編集して紹介しよう。

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敷物の上では履き物を脱ぐ

 ラビンドラナート・タゴールはインドの文豪である。1913年に、アジア人としてはじめてのノーベル賞を、文学賞だが、受賞した。日本にも、よくきている。そして、そのつど各地で講演会をひらいてきた。

 1916年の来日にさいしては、日本女子大もおとずれている。そして、女学生に瞑想指導をほどこした。その写真記録がのこっている。軽井沢の林間、屋外でこのレッスンはすすめられた。

物乞いの少女は靴を脱いだ

 もう1枚、大阪の写真をひいておく。1954年に、街頭でとられたスナップである。電柱の脇にいた少年と少女をうつしている。少年は赤い羽根という共同募金への協力を、路上の人びとによびかけていた。少女は物乞いである。道にすわり頭をさげている。

 この時、少女は靴をぬいでいた。いっぽう、少年は靴をはいたまま、立っている。少女と同じように、金銭的な支援をたのみこんでいた。しかし、共同募金という高邁な使命があるせいだろう。人目もある往来で、少女ほど卑屈にはふるまっていない。

 だが、少女には靴履きのまま立ちあがって、援助をもとめることができなかった。屋外でも、履き物をぬぐことが低姿勢につながる。幼いなりに、そう思っていたようである。まあ、大人からの示唆もあったのだろうけど。

頬かむりの靴みがきたち

 先生の教えをこう。

 周囲の人びとから、金銭をめぐんでもらう
。
 そういう立場にいる者は、しばしば履き物をぬぎ地面に腰をおとして、まわりとむきあった。それは、へりくだる側が、とりがちな姿勢だったようである。

 敗戦後は、都市部のあちこちで、靴みがきの人々が路上に出現する。彼らは道端へすわりこみつつ、仕事をした。東京・有楽町の靴みがきたちをうつした写真がある。1948年ごろの記録である。

 女性のみがき手は、たいてい手ぬぐいをかぶっていた。頬かむりで、顔をおおっている。身の上をかくしたいと、思っていたのだろう。靴みがきには、歩行者の厚情をこうところがある。それを、どこかではじていたのではないか。

 みがき手たちの足先を見てほしい。彼らの多くは、履き物をぬいでいた。下駄や草履を足からはずした状態で、座布団に腰をおとしている。この状態は、さきほどの物乞いの少女とも、かさなりあう。やはり、この姿は低姿勢であることをしめす記号的な構えだったのだろう。

 ままごとの子どもも、駅のホームで新聞紙を敷いて座る人も、理由はともかく屋外で、同じ振る舞いを見せたと著者は続ける。茣蓙1枚で仮設の「屋内」を作ってしまう感性は、路上のあちこちに生きていたのである。それは今も我々が花見の時に敷物の上で腰を下ろす際、靴を脱ぐのと同じなのかもしれない。

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※本記事は、井上章一著『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

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