ついにイタリア人も家の中で靴を脱ぎ始めた!?――欧米人が生活習慣を変えたのは「日本の影響」なのか
「家では靴を脱ぐ」――日本人にとって当たり前のこの習慣が、いま世界に静かに広がりつつある。イタリアでもフランスでも、家の中で靴を脱ぐ人が増えているというのだ。
日本の影響なのか、それとも別の理由があるのか。国際日本文化研究センター所長で文化史家の井上章一氏は、新刊『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮選書)で、その理由について考察している。同書から一部を再編集して紹介しよう。
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南イタリアの城館を舞台に
『溺れる女』と邦題がそえられた映画を見た。2017年に公開された作品である。イタリアとスペインの合作ということになっている。
ヒロインのマルタは飛び込み、ダイビングの選手であった。オリンピックのスペイン代表もめざしていたという。だが、ケガでそちらはあきらめた。まだ若いのだが、アスリートとしては引退している。
彼女の父は、成功した画家である。南イタリアのマテーラという街で城館を入手し、そこをアトリエにつかってきた。ただ、すでに当人は亡くなっている。りっぱな家も、空屋となっていた。マルタはそこへうつりすみ、父の遺産管理人めいたくらしを、おくりだす。
■はだしで暮らすふたり
ある日、マルタは街で、ひとりの神秘的な女性とであう。ハルと名のる日本人である。その姿に魅了されたマルタは、自分がすむ亡父の城館へ彼女をさそいこむ。やがて、ふたりは同居、そして恋愛へといたる。いわゆる同性愛のカップルとなる。
マルタとハルは、城館のなかをはだしで歩いた。靴などはかずに、館内をゆききする。裸になりだきあう寝床だけでそうなったわけではない。ふたりは、館内のありとあらゆる場所を、靴なしで歩行した。
城館には来客もある。マルタの姉がやってきた。飛び込みの競技をつづけているかつてのライバルも、マルタの様子をうかがいにくる。
■闖入者は靴を脱がない
そして、どちらもマルタの異変に、おどろいた。あの日本人に、あなたは魅入られている。気をつけろと、警告する。だが、マルタはしたがわない。私のことはほっといてと、やりかえす。
姉とライバルは、どちらも靴履きのまま城館にはいり、マルタと対峙した。西洋人の来訪者は、靴をぬがない設定になっている。あの日本人と手をきれという側の人たちは、土足のまま家にあがりこんでいた。
ハルは、城中でも靴をはこうとしない。マルタもハルにあわせ、はだしのくらしをつづけている。同性愛のふたりは、どちらも日本とつうじあう生活にひたっていた。だが、両者の仲をさこうとする闖入者は、家のなかへ外履きのままはいっていく。
靴をぬいだくらしは、夢のような愛の生活を象徴する。
いっぽう、土足でのそれは、西洋における現実をさししめす。映画の制作者は、はっきり意識して、そうえがきわけた。
「床を汚さないため」への疑問
さて、21世紀の今では、家のなかで靴をはかない人が西洋でもふえている。20世紀のおわりごろから、そういう生活様式が、都会地を中心にひろがりだした。
日本からの影響がこの変化をもたらした可能性は、否定しきれない。今、参照した『溺れる女』という映画は、そういう回路もありえたことをしのばせる。まあ、私は欧米の人から日本による感化という話を、ほとんど聞かないが。
なぜ、このごろは家の中で靴をぬぐようになったのか。いちばんよく聞くのは、家の床をよごさないためという言い分である。だが、この主張に、私は納得しきれない。私は1970年代なかばのパリやローマを、この目で見ている。
そして、当時、あちらの往来は、たいそうよごれていた。ペットの糞やゴミが、路面に散乱していたことを、おぼえている。だが、20世紀末以後、あちらの衛生当局は路上の清掃へ、本格的にとりくみだした。今は、ずいぶんきれいになっている。
家の中を清潔にしておきたいと、彼らの多くは言う。しかし、それなら道路がまだ不潔だった時代にこそ、土足をつつしむべきだったろう。街路が浄化されたこのごろになって、靴についた外の塵埃をいやがりだすのは、おかしい。道をきれいにしたから、土足で家へあがれるようになったというのなら、まだわかるが。
掃除するマンマはもういない
イタリアの女性から、こう言われたことがある。かつての専業主婦、マンマは家のなかで、よくはたらいた。1日に何度も掃除をしたから、ほこりはたまらない。靴がもちこむ屋外の塵埃も、すぐにとりのぞかれる。以前は、そんなはたらき者がいたから、家で外履きをはいても、あまり床はよごれなかった。
だけど、現代女性は外へはたらきにいっている。屋内の掃除につとめたマンマは、もういない。家のなかを土足ですごせば、すぐに床がきたなくなる。自分たちが家で靴をぬぎだしたのはそのためだ、と。
なるほど、そういう経緯はありえたろう。自宅での靴履きがへりだしたのは、女性の社会進出がすすんだ、そのあとだと思う。時期的なつじつまは、あっている。
とはいえ、それだけが理由でもあるまい。男女とも窮屈な装いからの解放が足先に及んだのではないかという仮説も考えられるが、理由はどうあれ、「締め付ける靴をせめて家では脱ぎたい」、そう玄関先で思い始めた世界の人々は日本人に近づいているのかもしれない。
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※本記事は、井上章一著『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。










