ブラジルの病院のベッドで靴を脱いだら、なぜ叱られたのか――日本人が戸惑う海外のルール
家に上がるときや、ベッドで横になるときは、靴を脱ぐ――。日本人には当たり前のこの習慣は、海外では通用しない。
国際日本文化研究センター所長の井上章一氏は、ブラジルのリオデジャネイロの病院で手術を受けることになった。そして、ベッドに上がろうと靴を脱いだ瞬間、医師にたしなめられた。なぜそんなところで靴を脱ぐのか、と。
この思いがけない「文明の衝突」体験から、井上氏は日本人の「靴を脱ぐ」という強固な民族的習慣に関心を抱き、その内実を徹底的に調査することになる。以下、井上氏の新刊『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮選書)から一部を再編集して紹介する。
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リオデジャネイロで転倒
外国の病院で、手術をうけたことがおありだろうか。私はある。
2004年のことであった。場所はブラジルのリオデジャネイロ。私は街で転倒し、顎を地面にうちつけた。そのため、裂傷をおっている。さいわい、地元の人たちがふさわしい病院を推薦してくれた。すすめにしたがい、私はそこへ直行する。
日本人の私に、気をつかってくれたのだろうか。病院では、日系人の外科医に治療をしてもらうことができた。と言っても、日本語をしゃべる人ではない。私とのやりとりは、すべて英語ですすめられた。
■「どうして、そんなところで靴をぬぐのか」
診察室へ案内された私は、所定の椅子にすわっている。そして、自分の顎をみせながら、目の前にいる医者へつげた。ここが切れたんだ、と。
ざっとながめた彼は、私に指示をする。傷口の具合いを、もっとていねいにながめたい。脇のベッドで横になってくれ。そして、顎を自分へむけて、はっきりしめすように体勢をとってほしい、と。
注文を聞いて、私はベッドに歩みよる。靴をぬいで、片膝をシーツの上にのせようとした。その時である。私の動作を目にした医者が、少し気色ばんだ。そして、私をたしなめたのである。どうして、そんなところで靴をぬぐのか、と。
■靴を脱いだ患者は「おまえだけだ」
ベッドの上で、靴をはくのはゆるされない。あがるのなら、足からはずす必要がある。そう思いこんでいた私は、医者の言葉にとまどった。
この病院は、土足で寝台に寝ることをゆるしている。いや、それどころではない。院内では、はだしになることが禁じられている可能性もある。不安をいだいた私は、そのことをくだんの医者にたずねている。
靴をぬいではいけないのかという私の質問に、彼はこたえてくれた。そんなルールはない。だが、ここで靴を床におきとどめた患者ははじめて見た。他にそんなことをする者はいない。おまえだけだ。
郷に入っては郷にしたがえ
それに、そんなところへ靴をのこされたら、目ざわりである。スタッフの歩行もさまたげる。以上が彼の言い分であった。
ここまで言われたら、しようがない。郷に入っては郷にしたがえ、である。私は、もういちど自分の足を床の上へもどし、靴をはきなおした。そして、そのままベッドに自分の身を横たえたのである。
寝ながら、私はさまざまな光景を脳裏によぎらせている。たとえば、アメリカやヨーロッパの映画で見かけたシーンを想起した。標題や演者の名は、なかなか思いだせない。しかし、あちらの映画は、靴履きのままベッドでくつろぐ男女を、よく登場させている。その画面が、いくつもたちあらわれた。
■土足のまま、十数針を縫う
ベッドでも靴をぬがない人が、西洋にはいる。そのことを、私は今のべたような映像で、知っていた。知識としては、しいれていたのである。
リオでであった医者は、これを私に体感させた。有無を言わせず、おしつけている。間接的な情報ではなく、直接的な行動指南として。
病院での話をつづけよう。ベッドであおむけとなった私の顎を、医者はていねいに見てくれた。そのまま、処置もほどこしている。十数針ほど縫い、傷口をふさぎきった。ほとんど跡ののこらぬ、みごとな手さばきであったと感謝する。
■傷より足が気になった
ただ、施術中は傷のことより、足のほうが気になった。靴をぬがずにベッドで寝ている自分へ、私は違和感をいだきつづけている。医者が顎へ針をとおしている最中も、靴の踵をシーツからはなすようつとめた。腹筋のふんばりで、できるかぎり足先を宙にうかせようとしたのである。体力的につづかず、とちゅうであきらめたが。
おかげで、顎がさけたことへの不安も、ずいぶんやわらいだ。手術がどうすすんでいっているのかも、あまり気にならない。寝台に土足で仰臥する居心地の悪さは、異国の病院で医者とむきあう心細さを上まわった。
この時、私は自分が日本人であることを、骨身にしみて痛感する。家のなかへ靴をはいたままあがってはいけません。寝床へ土足でふみこむなんて、論外です。そんな文化に自分がしつけられきっていることを、思い知らされた。あるいは、調教されていると言うべきか。
日本の病院では逆のことが起きるはず
このごろは、日本をおとずれる外国人の数がふえている。とりわけ、観光客の増加はいちじるしい。なかには、寝床でも靴をはきつづけることがある人だって、いるだろう。
そんな人が、日本で医者の診察をうける例も、ないとは思えない。靴履きのままベッドに横たわろうとする彼らを見て、日本の医者はどうするのか。おそらく、そのまま見すごしたりはしないだろう。たいてい、おこりだすような気がする。そういうことをされたら、シーツがよごれてしまう。ベッドへあがる前に、靴はぬいでくれ、と。
ケガや手術の痛みより、土足の気まずさが勝る。この身体に刻まれた無意識の感覚こそ、日本文化の根深さを物語る。「日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか」という素朴な問いから、井上氏は普段あまり指摘されることのない西欧と日本の生活習慣の違いに対する考察へと分け入っていく。
※本記事は、井上章一著『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。










