「1日にたばこ50本、日本酒は1升」 胃がんでキャリアが暗転してからの復活…没後11年の塩川正十郎財務相の秘話
先立った愛妻
その頃、鈴子夫人はパーキンソン病と思われる病状が進行しており、塩川氏は激務の合間に見舞っていた。鈴子夫人は大活躍を見届けたかのように2002年に75歳で永眠した。『週刊新潮』の「墓碑銘」の取材で記者は鈴子夫人の通夜を訪ねた。遺志に従い、自宅で質素に営まれた別れの場では、80歳の塩川氏が2時間以上立ったまま1000人近い弔問客に丁寧に応対していた。
2003年まで財務相を務めた塩川氏は、次の衆院選には立候補せずに政界を引退した。塩川氏の子供達は政治家を継いでいない。
後進への直言
小泉首相にも遠慮なく直言していた。起承転結の「起」と「結」しか話さないようでは国民は意味がわからない、と諭すこともあれば、小泉人気についても「政党自体には期待しないのに政治家個人は認めて支持するという形は、政党政治としては非常にいびつ」と警告してもいる。
政界を退いてからもテレビなどで出演を請われ、人気は衰えなかった。
安倍氏2代への思い
安倍派四天王として晋太郎氏を支えてきた自負もあった。父の遺志を継ぎ大成した晋三氏に対して、これは晋太郎氏も同じだったと前置きしたうえで、相手の話の腰を折る癖は直したほうがいいと伝えていた。
それはもうわかっていますとばかりに相手の話をさえぎるのではなく、すでに知っていることでも相手に全部吐き出させ、その上で、自分が聞いている話とは違うねと切り返して相手の反応を見る――。あるいは自分も同じ意見だと言って、距離を縮める――。そんなやり方があると教えていた。塩川氏の策士たる一面が窺える。
潔さと言葉の重み
政治には潔さが大切、との信念は小泉氏と共通していだだろう。歴代首相経験者を念頭に、退任した後も政治的力量を温存したいという未練から生じる悪影響があるとよく語っていた。やはり「田中的自民党」への疑念があったに違いない。
政治家はただ実行すればよいのではない。その目的を達成できているのか検討、評価することを怠ってしまっては意味がない。国民が付和雷同するのは、政治家の説明不足が原因だ。ポピュリズムの政治をやってはいけない、口先だけではないと国民に伝わる説得力が大切だと力説していた。
亡くなって11年。意外と言っては失礼だが、とぼけた風情の「塩爺」は現在にも通じる視座があった。
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