「1日にたばこ50本、日本酒は1升」 胃がんでキャリアが暗転してからの復活…没後11年の塩川正十郎財務相の秘話
2001年に発足した小泉純一郎内閣。財務相という要職に小泉首相が塩川正十郎氏を起用したことはサプライズ人事だと政治記者に受け止められた。だが、予期せぬサプライズのほんの始まりにすぎなかった。就任会見に現れた塩川氏は、柔らかな大阪弁で飄々と話し始め、延々と質問を続ける記者に「もう、よろしいやろ」とやんわり告げて「ふぉふぉふぉ」と笑うのだった。
この会見でのとぼけた姿が、ふだん政治に関心を向けない人々の心に突き刺さった。“面白いお爺ちゃん”“癒される”などと即座に注目され、「塩爺」の愛称がついて一大ブームを呼んだ。
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塩川氏、時に79歳。予期せぬ満開の遅咲きである。2015年9月19日、93歳で逝去。「塩爺」の呼び名を聞けば、今でも顔が浮かぶ存在だろうが、キャラクターが親しまれたというレベルで記憶にとどめておくには、もったいない政治家である。
本当は瞬間湯沸かし器
「塩爺」の愛称で親しまれた塩川正十郎氏は、もともと和やかな雰囲気の人物ではなかった。「瞬間湯沸かし器」と呼ばれたほど、自他ともに認める短気で怒りっぽい。はっきりとものを言う芯の強さと、状況判断に長け、何事にも慌てないしたたかさを合わせ持っていた。
藤原鎌足につながる旧家
塩川氏は1921年、現在の東大阪市生まれ。塩川家は河内の旧家で、さかのぼれば藤原鎌足に至るという。慶應義塾大学経済学部に進み、学徒出陣。中国・山東省で敗戦を迎え、1946年に復員。父は布施市(現・東大阪市)の市長を務め、地元からの信頼が厚かった。塩川氏は政治家になる気は全くなく、塩川家が所有する土地の管理会社などで働いていた。1954年、5歳年下で兵庫県伊丹の旧家生まれの鈴子さんと結婚している。
地元の名士である父の他界後、周囲から政治家になれと強く諭され断れなくなった。1964年、当時あった布施市の助役(現在の副市長にあたる職)に指名され、周辺の市との合併による東大阪市誕生に奔走する。この合併は大阪市の市域拡大の動きに対する大阪府の懸念が背景にあるとも言われ、塩川氏は短い期間だが地方政治の生々しい駆け引きの最前線を体験した。
師は岸信介元首相
1967年の衆議院選挙に立候補し初当選。45歳でのスタートだった。初当選の同期には、山下元利氏、河野洋平氏、藤波孝生氏、山口敏夫氏らがいる。時代を感じさせる顔ぶれだ。
自民党の公認取り付けや選挙応援で動いてくれたのが、岸信介元首相。この流れで福田赳夫氏の派閥に属するが、岸氏を師と仰いだ。そもそも派閥のしくみを知らず、なぜ福田氏の朝食会に来ないのかと岸氏に聞かれ、食事の心配をされたと思って「朝食なんてどこでもとれます」と答えたとか。
何も知らないかわいい奴と思われたのか、岸氏はよく声をかけてくれた。「日米安保改定は単に防衛問題だけではなく、日本の経済復興の基礎を創るために非常に大切だったのに、経済的な側面が国民から顧みられなかったのは残念だ」という岸氏の言葉をよく憶えていた。塩川氏は、日米同盟によりいわばアメリカを日本の保証人につけたのだ、と理解した。
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