「月9」はトレンディドラマの代名詞、では「金曜8時」と言えば? かつて視聴率64%を叩き出した“伝説の枠”を振り返る
番組を支えたアナウンサー
前出の書籍に出て来た岡田ディレクターは過去、「ワールドプロレスリング」実況アナに言われた言葉が忘れられないという。
「ねぇ岡田さん。僕らはいつか『太陽にほえろ!』に勝って、局内の廊下の中央を、胸を張って歩きましょうよ、ね」
1977年に実況デビューした古舘伊知郎だった。彼の“過激な実況”の力もあり、その宿願は半ば達成され、1984年に古舘はテレビ朝日を退社してフリーに。しかし「ワールドプロレスリング」実況は、月曜夜8時に移行しても続けた。古舘は中学生時から、その「格闘ロマン」に魅せられた、強靭な猪木信者だったのである。リングにかぶりつきで実況する身としては、常に視聴者を驚かせ、ハプニングを是とする猪木の考え方も、最高に刺激的だったのだ。
しかし、古舘も1987年3月を最後に「ワールドプロレスリング」を卒業。4月から同番組が火曜夜8時の放送に移り、それまで同枠で放送されていた「ビートたけしのスポーツ大将」を引き継ぐことになった。それにより、内容もバラエティ番組化するとしたからと、本人が理由を明言している。
〈スタジオものとの合体でプロレスを構成するという。ボクは一時間まるごと体育館からでなかったら嫌だと言った〉(「週刊文春」1992年2月13日号)
〈私の愛したプロレスが、バラエティ番組になるという。他の番組でなら、私はよろこんで(中略)オチャラケを演じるだろう。しかし、プロレスでそれはできない〉(「週刊プレイボーイ」1987年4月21日号)
それは、誠心誠意、プロレスの魅力が伝わるよう実況し、時には強大な裏番組打倒にも携わって来た、古舘なりの矜持も含まれていたのではなかったか。バラエティ化した「ワールドプロレスリング」の初回放送の平均視聴率は5.7%と、それまでの最低の数字を記録した(※3)。
古舘の地上波プロレス実況復帰は2度。1988年8月8日、猪木が引退をかけた藤波戦と、1998年4月4日、その猪木の引退試合だった。
往時の実況とともに、「闘魂の語り部」として、今も深くファンの心に刻まれている。
※1:翌年9月にワンマッチ復帰し、その後の契約もあったが、こちらは反故にしている。
※2:1984年10月13日。山口県荻市体育館。主催者発表の観客動員数は1800人。
※3:1987年4月7日(火)夜8時~。「ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング」放送分。
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