「月9」はトレンディドラマの代名詞、では「金曜8時」と言えば? かつて視聴率64%を叩き出した“伝説の枠”を振り返る
放送日変更の理由
しかし、その熱狂から3年も経ないうちに、新日プロにテレビ朝日からの非情な通告が届く。
「『ワールドプロレスリング』は、1986年10月より、毎週金曜夜8時の放送から、毎週月曜夜8時の放送とする」
この一報が噂として流れたのは、同年5月の1週目。怪情報の類いに過ぎぬと当時は思っていたが、後年、関係各位に取材を重ねたところ、この時期には既に内定していたようだ。となれば、その直近、半年間の視聴率は芳しくなかったのか……。
先ず、前年の85年10月から12月まで、3ヵ月間の「ワールドプロレスリング」の平均視聴率を見てみると、14.5%。黄金期に比べれば良い数字ではないが、当時はブルーザー・ブロディをエース外国人にプログラムを組んでおり、期間中に2度おこなわれた猪木とブロディの一騎打ちは、いずれも視聴率15%を超えていた。
ところがブロディがこの12月を最後に、新日本プロレスから離脱(※1)。ちょうどその時期、新日本が提携したのが前田日明、藤原喜明らを擁す、元第一次UWF軍団で、翌年1月からはこちらとの抗争が柱になった。すると、平均視聴率は12.3%に下がってしまった(1986年1月から3月までの平均)。首都圏では圧倒的な人気を誇り、後の団体、第二次UWFではブームを巻き起こしたUWF軍団だが、鋭いキックと高度な関節技に裏打ちされたその格闘性の高さは、少なくとも茶の間受けはしなかったのである。独立団体として稼働していた第一次UWF時代の、前田日明のこんな述懐も甦る。
「東京の後楽園ホールでは満員になっても、地方に行くと客入りは散々。山口県の荻でやった時なんて、20人も客がいなかった」(※2)
しかし、この数字だけでUWF軍団が放送曜日変更の戦犯とは言えない。というのは、同時期の「ワールドプロレスリング」のメインは、あくまで猪木組vs外国人組のタッグマッチだったのである。この外国人勢がビリー・ジャックや新顔のマッド・マックス1号&2号という、ピンと来ない面々であったことにも原因がある。
4月に入ると、3回の放送中、視聴率が2桁を割ってしまう日が2回出る。実はこの後、6月の藤波辰巳vs前田日明は15.3%、IWGP決勝戦(猪木vsディック・マードック)は15.5%と気を吐くのだが……。
その一方で不思議なのが、テレビ朝日のスタンスだ。例えば1980年4月~9月の「ワールドプロレスリング」の平均視聴率は12.7%である(※プロ野球などの影響で深夜に放送された3回の視聴率除く)。この時は放送曜日を移動するなどという話は、全く出て来なかった。実は、テレビ朝日側の変化もあったのである。後年の関係各位への取材をまとめる。
・1986年5月に、社屋を六本木(アークヒルズ)に移転。新日本プロレスの本社も、こちらのビルに入った。
・(移転後の)月曜夜8時からでも、テレビ朝日が「ワールドプロレスリング」に払う放映権料は変わらない(※1番組、推定1400万円前後)
・それまでの月曜は、夜7時からの2時間ドラマが放送されていたが、視聴率が思うようにとれておらず、また、番組が長尺であることからスポンサーが付きにくく、1時間番組2つの体制にしようと案が進んでいた。
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