「月9」はトレンディドラマの代名詞、では「金曜8時」と言えば? かつて視聴率64%を叩き出した“伝説の枠”を振り返る
金曜日にたちはだかった「あの番組」
放送日移転が明らかになった1986年5月の上旬、猪木と坂口征二がテレビ朝日を訪れ、金曜夜8時の堅守を求めている。猪木は他局への(番組の)移籍もちらつかせたようだが、テレビ朝日内に新日本プロレスが引っ越した直後では、まるで説得力がなかった。テレビ朝日はソフトとして「ワールドプロレスリング」を自由に扱える立場だったし、逆に見れば、「新日本プロレスの面倒は一生、テレビ朝日が看る」という厚い恩情措置でもあるからだ。
更に重要なのが、金曜夜8時の、強力な裏番組の存在であった。伝説の「太陽にほえろ!」(日本テレビ)である。「太陽にほえろ!」は石原裕次郎を中心に配した刑事ドラマで、新日本プロレスに先立つこと9カ月前の1972年7月より放映開始。当時の筆者はプロレスにしか興味がなかったので知らなかったが、79年7月20日放送回では視聴率40.0%を達成。前掲の、「ワールドプロレスリング」の平均視聴率が12.7%の時期、「太陽にほえろ!」は22.7%だった(※1980年4月~9月)。到底太刀打ち出来ぬほどの、巨大な壁だったのである。
ところが、風向きは変わる。1981年4月に初代タイガーマスクがデビューし、その1回目の放送(5月1日)が流れると視聴率は18.3%と急上昇。その後も“タイガー効果”で視聴率は高めを維持し、10月9日、望外の時が訪れる。この日の放送の視聴率が20.5%を記録し、裏の「太陽にほえろ!」(18.2%)に初勝利したのである。カードは前日に行われた猪木vsラッシャー木村で、11月6日にも再戦し、こちらも22.2%と「太陽にほえろ!」(17.1%)に圧勝。12月末までの放送で計5回、「太陽にほえろ!」を上回ったのだ。
からくりはあった。この年の5月29日放送分より、「太陽にほえろ!」は“ボス”、石原裕次郎が、長期入院により不在に。視聴率が下がり始めていたのだ。ただ、“裕ちゃん人気”はレベルが違い、闘病を終えて「太陽にほえろ!」に復帰した際は27.2%(12月25日放送分)と、80年代全体でも「ワールドプロレスリング」が到達出来なかった視聴率を達成している。
だが、「こんばんは」の挨拶とともに新日本に参戦して来たラッシャー木村率いる「はぐれ国際軍団」、そして初代タイガーマスクの活躍により、「太陽にほえろ!」は勝てぬ相手ではないことが判明したのである。その後も「ワールドプロレスリング」は高視聴率を連発。1983年3月3日には、この功績により、テレビ朝日から表彰されている。
しかし、同年8月には初代タイガーマスクが引退。翌年9月には人気を博した長州力ら“維新軍団”も退団。全日本プロレスに主戦場を移した。視聴率は漸減し、放送曜日の移動となったのは述べて来た通りだ。当時の「ワールドプロレスリング」ディレクターの、示唆に富む一言がある。
〈金曜夜8時って営業的に“商売になる”時間帯なんですよ。極端にいえば、番組の中身がわからなくても、曜日と時間でスポンサーと広告会社が興味を示すということです〉(岡田一成。朝日新聞出版『ワールドプロレスリングの時代 金曜夜8時のワンダーランド』より)
「太陽にほえろ!」を追撃する威勢の衰えた「ワールドプロレスリング」を1時間枠が望まれる月曜に移し、どんな内容でもスポンサーが飛びつく金曜夜8時を空けさせ、新番組で勝負したいといったところではなかったか。
だがしかし、皮肉な結末が待っていた。1986年10月、「ワールドプロレスリング」が月曜夜8時からの放送になった翌月、「太陽にほえろ!」が突然終了(11月14日)。理由は石原裕次郎の体調不良による、撮影続行困難というものだった(裕次郎は翌年永眠)。なお、金曜夜8時の後発番組は現在も続く「ミュージックステーション」だが、初期の視聴率は散々。3%台を記録することもあったことを付記しておく。
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