実際のがん患者は巷に溢れる「画期的ながん治療法」についてどう思っているのか…“標準治療”を選んでも脳裏をよぎる「一発逆転の方法にすがりたい」心理
「オルタナティブな治療法」
がんの治療法については、世の中に膨大な情報があふれている。
その中には、保険診療の対象ではない「オルタナティブな治療法」についての情報もたくさんある。「オルタナティブな治療法」といっても科学的な装いがなされたものも多い。そこには何らかの研究結果や科学的なデータが添えられていることもある。その意味では、保険診療の対象となる標準治療とそうでないものを単純に「科学的」「非科学的」と二分するだけでは済まない状況になっているのだと思う。その境目を一患者が見分けるのは難しい。
それ故に“画期的ながん治療法”は日々メディアを賑わせることになり、一患者としては混乱することも多い。
とりわけ、膵臓がんステージ4ともなると「もう絶望的」というイメージがつきまとう。「何か一発逆転の方法にすがりたい」。そうした心理が生まれる隙間がある。実際そのような謳い文句の治療法や、それに類する情報は数限りなく存在する。
しかし私は、「オルタナティブな治療法」のようなものに賭けてみようという気にはならなかった。
一つには、がんの進行状況が、素人なりにもある程度理解できていたからだ。私のがんはすでにかなり進行している。その状態に対して、一般に効果が比較的マイルドだとされる代替的な治療を行ったところで、何か劇的に素晴らしいことが起こるとは思えなかった。
そしてもう一つ、大きな理由が、自分自身がいわゆるガチな理系だったことだ。長い年月をかけて積み上げられてきた科学の方法論を、私は信じていた。
では、迷わず医師の勧める化学療法を受けようと決められたのかと言うと、それほど簡単な話ではなかった。
こころの奥底に潜んでいた恐怖心
迷いの原因は、副作用への恐怖だった。
「がんは不治の病」というイメージが一般的だった子どもの頃、テレビや新聞で見聞きする抗がん剤の副作用はがんそのものに勝るとも劣らぬ恐怖感があった。抗がん剤に対して「それはそれは恐ろしいもの」という刷り込みがなされていたと思う。子どものころの私は、勢い余って、薬全てを忌まわしいものだと感じていた。告白すると、普通に処方された薬ですら、飲まずに捨てたりしていた。
この連載でも触れた『白い巨塔』(1965年)にも、抗がん剤(作中では制癌剤)が諸刃の剣であることが描かれている。がんに冒された同僚の開腹手術をするがもはや手の施しようがないとわかった医師たちの言葉だ。
「…思いきって術後一週間目ぐらいから、制癌剤の使用に踏みきってはと思うのですが――、もちろん、制癌剤を用いたから助かるとはいえませんが、少なくとも延命効果は期待されるはずで、それが現在、残されている唯一の方法であるなら、それを行なうのが、現時点における医師団の義務だと思います…」
「…気持ちはよく解る、しかし、進展があまりにひどく、ただでさえ体力が減退しているところへ制癌剤を使って、追討ちをかけては貧血を助長させることになり、最悪の場合は、延命より、逆に縮命という結果にもなりかねない…」
1960年代とは比較にならないほど今の医療は進歩している――。そんなことはわかっている。それでも怖いものはやはり怖かった。こころの奥底に潜んでいた恐怖心に気付いたのは、治療法について説明を受けたときだった。
「いちばんの選択肢となる薬について説明しますね」
医者はやさしく微笑んでパンフレットを差し出してくれた。そこにはこれから行う予定の化学療法で期待される効果と機序、そして副作用が書かれていた。
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