「ココイチ高すぎる!」に込められた格差社会への怒り…CoCo壱番屋は“一億総中流”と“消費社会”のシンボルから様変わりしてしまった
CoCo壱と「そこそこの幸福」
郊外には、衣食が揃ったチェーンストアが数多く誕生し、そこそこの値段で、ある程度のものを買うことができる。そこには、「そこそこの幸福」があった。
思えば、CoCo壱とは、まさにこの「一億総中流」を体現するような店だったといえる。多くの種類のカレーがあり、トッピングがある。辛さまでをも自分で選ぶことができ、安価なのに、自由がある。まさに、消費社会の極致がそこに存在していたわけである(余談だが、CoCo壱ではフランチャイズの条件の一つに「夫婦」というものがあるという。夫婦で店を切り盛りしてくださいね、ということだ。ここにも、一億総中流的な「家族」の幻影が映っている気がする)。
さて、ここまで来て、やっと現代に話を戻すことができる。
CoCo壱が「一億総中流」的な色彩の強い店だったとしても、同店が躍進した1980年代から90年代、日本では徐々に貧富の格差が進んでいった。所得の二極化である(橋本健二氏の一連の著作による)。その格差は2020年代に至るまで広がり続け、さまざまなモノの高騰によって、もはや各種チェーンストアもそうした所得格差に応じた施策を取らざるを得なくなっている。
中流幻想の崩壊
一例を挙げれば、もともとファミリーレストランは「中流家庭」向けに、ある程度は横並びの値段帯であったのが、ここ10年ほどで「安売り」を押し出す店と、ある程度値段を高くしてその分付加価値の高い体験を提供する店の二極化が進んだ。前者はサイゼリヤやガストで、後者はロイヤルホストなどである。いわば、「横並び」の日本は崩れ、所得格差に応じた店作りがさまざまな場面で進んでいる。
CoCo壱もそうである。すでに指摘したように、CoCo壱は短期スパンで客単価を押し上げながら、「高付加価値」を押し出す店になった。「カレー一杯で1000円を超える、いや、もっといえば1200円、さらには1500円を超える?」となれば、かつての「中流向けの店」というイメージからは大きく逸脱することになる。
むろん、これはCoCo壱が悪い、という話ではない。客単価を上げるのも、CoCo壱の経営方針だし、それがうまく進んでいるのならば何もいうことはない。けれど、かつてのCoCo壱の姿を知っている人間からすれば、現在の同店の姿が「かなり変わって見える」のは確かなのである。
であれば、「変わってしまったCoCo壱」に対して一家言あるのは、なんだか理解できる気もする。
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