「ココイチ高すぎる!」に込められた格差社会への怒り…CoCo壱番屋は“一億総中流”と“消費社会”のシンボルから様変わりしてしまった
前編【なぜ人は「CoCo壱番屋」に物申したくなるのか…SNSが荒れる「庶民には手が届きません」批判のウラに“かつての熱心なユーザー”の存在】からの続き──。CoCo壱番屋の親会社であるハウス食品グループ本社が、同チェーンの売却を検討していると報じられた。これにネット上では「CoCo壱は高すぎる」「庶民には手が届きません」「だから客離れが起きたんだ」との反応が相次いだ。しかしながら、こうした投稿は事実を反映していない。【谷頭和希/都市ジャーナリスト・チェーンストア研究家】(前後編の後編)
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営業利益こそ減少してはいるものの、「持っていられない」ほどひどい財務状況だとはいえないからだ。
むしろ売り上げは最高値を示している。それなのに、ネット世論ではなぜか「CoCo壱高くなった」ということで大盛り上がりなのである。
ここまで来ると、必然的にこんな疑問が出てくる。「なぜ、人々はここまでCoCo壱に物申したくなるのか?」ということだ。
こういうときは、「いま」のCoCo壱だけを考えていても答えは見えてこない。遠回りのようだが、あえて「むかし」に遡ってみると見えてくるものがある。
その創業は1978年。第1号店が開かれたのは名古屋市の繁華街ではなく、市郊外の西枇杷島町という場所に誕生した。創業者が「田んぼに囲まれた超三流立地」と振り返っている通り、飲食店としては恵まれた立地ではなかった。しかし、逆にその立地でも店を成り立たせるために、家賃の安さを前提にしながら、店の運営を徹底的に標準化した。
すでに多くの社会学者が指摘している通り、1960年代以降に進んだ日本の郊外化は、「一億総中流」と呼ばれる時代感覚を、暮らしの風景として定着させていった。1970年代から1980年代にかけ、政府の統計などを根拠とした「一億総中流」と呼ばれる意識が日本を覆ったことは周知の事実である。
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