なぜ「ノーベル賞」の日本人受賞者は多いのか? ノーベル化学賞「白川英樹博士」が賛辞を惜しまなかった“先人たちの奮闘”と、“母語で学問を学べる”という恩恵

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白川氏が高く評価した「津山藩の藩医」

「解体新書」をめぐる彼らの長年の辛酸を、白川氏はまるで自身の体験であるかのように、時に声を詰まらせながら語ってくれた。白川氏の業績である「導電性高分子(電気を通すプラスチック)の開発」でも、「解体新書」の苦労に通じるものがあったようだ。

 1960年代、電気コードの被覆やコンセントの外装に使う高分子は、絶縁体であることが疑う余地のない常識だった。白川氏は東京工業大学の研究室で実験中、触媒濃度を取り違えたことがきっかけで、偶然に常識を覆す膜状の物質を得た。さらに9年間、地をはうような地道な研究を続け、米ペンシルバニア大学の研究室で劇的な導電性を持つ物質の製法を発見し、産業応用への道を切り開いたのだった。

 白川氏は、津山藩の藩医で蘭学者だった宇田川榕庵(うだがわようあん1798年~1846年)を高く評価する。「私自身、化学研究で大変お世話になった人」だという。どういう人物だったのか。

「津山藩は当時とても先進的で、榕庵は化学と生物学に非常に興味を持っていました。英国の化学者ウィリアム・ヘンリーが英語で書いた教科書が、ドイツ語から更にオランダ語に翻訳されて長崎にもたらされた。それを和訳して「舎密開宗(せいみかいそう)」全21巻を出版しました。その中で彼は、酸素、水素、窒素、炭素、白金、元素、酸化、還元、溶解、分析といった化学用語を生み出しました。どの単語も見ただけでその意味が分かり、視覚的にイメージできるよう、漢字の組み合わせが実に的確に工夫されている。現代の私たちもそのまま容易に理解でき、利用しているのです」

「榕庵は、植物学についても、根、幹、茎、枝、葉、花、果実などの部位を、その機能によって細かく分け、属などの分類を行い、内部構造にも細胞などの名前を付けました。これは薬草の学問として発展してきた本草学とは大きく異なります。このように近代西洋植物学を日本に初めて紹介したのが宇田川榕庵なのです。解体新書もそうですが、日本人にはもともと、外観だけでなく内部の仕組みも正しく観察しようとする考え方や精神風土があったのだと思います」。

まずは日本語をしっかり身につける

 こうした西洋の知識の吸収・翻訳に努める日本人の姿勢は、明治になっても引き継がれた。お雇い外国人を2690人も採用したのはその1例である。高給取りの外国人をこれほど大量に雇うエネルギーは一体どこから湧いてきたのか。

 江戸時代から明治維新を経て、先人たちはあらゆる学問分野で、オランダ語・ドイツ語・英語などの文献と取り組み、思考を巡らせて的確な日本語に翻訳してきた。

 例えば、キリスト教神学の用語は、明治6年(1873年)に江戸時代の禁教令が廃止されたことを受けて、外国人宣教師と日本人研究者の共同作業によって翻訳が始まり、明治13年に日本語の新約聖書がようやく完成した。

「そうした言葉と概念によって、日本の学問や文化が過去から今の時代へとつながっている。現代の日本人は、日本語で学ぶことを当たり前だと思って気にも留めませんが、先人たちの大きな恩恵に浴していることを忘れてはいけません」

 と、白川氏は強調する。

 最近は英語教育の早期化が進んでいる。子どもたちへの英語教育について、白川氏は、どのように考えていたのだろうか。

「グローバル化はますます深化しており、世界共通語である英語をコミュニケーションの道具として学ぶのは当然のことです。しかし、それは母語である日本語をしっかり身に付けた上でのこと。まず日本語でしっかり考え、理解し、それを的確に伝達できるようにする。日本語で論理的に説明できない人が、英語で論理的に説明できるはずがありません。英語はコミュニケーション言語としてとても大事ですが、科学者であれ、ビジネスマンであれ、日本語がしっかり身に付いている人ほど、一層核心に迫った理解ができるし、発想の自由度が大きいと体験的に感じています」

木代泰之(きしろ・やすゆき)
1946年生まれ。経済・科学ジャーナリスト。東京大学工学部航空学科卒。NECで技術者として勤務の後、朝日新聞社に入社。主に経済記者として財務省、経済産業省、電力・石油エネルギー、証券業界などを取材。著書に『自民党税制調査会』(東洋経済新報社)など。

デイリー新潮編集部

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