「ゆくゆくは愛子に天皇になってほしい」 上皇さまが抱えておられる「お心残り」とは 「皇統が途絶えることを心配され…」
【前後編の後編/前編からの続き】
上皇さまが、2016年に退位を示唆するビデオメッセージを発せられてから10年。先ごろ、ご自身の葬儀を縮小したいとのお考えが一斉に報じられた。実は、こうした“終活”の一方で上皇さまは、将来を見越して愛子さまの「ご即位」を思い描かれていたというのだ。
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前編では、あらためてあらわになった皇室と政府との隔たりについて報じた。
上皇さまと長年の親交がある人物が明かす。
「かねて上皇さまは、現在いらっしゃる男性皇族による皇位継承を基本とされながらも、長子が王位を継承する欧州の国々を例示なさりつつ、“将来的には女性にも皇位継承権を認めてもよいのでは”といったご見解を示されてきました。06年9月に悠仁さまが誕生された後も、上皇さまはこうしたお考えを、折に触れて周囲にお伝えになってきたのです」
実際に、ノンフィクション作家の奥野修司氏が19年3月に著した『天皇の憂鬱』(新潮新書)には、以下のような記述が登場する。
〈ある人物によると、天皇(注・現在の上皇さま)は「ゆくゆくは愛子(内親王)に天皇になってほしい。だけど、自分も長く元気ではいられないだろうから、早く議論を進めてほしい」とおっしゃったそうである。その上でこの人物はこう述べた。
「万が一不幸なことがあると皇統が途絶えます。陛下はそういうことをご心配されているのです。黙ってはおられなかったのでしょう。長官を通してとか、言える範囲のことはおっしゃってきた。だけど内閣、政府が動かなかった(後略)」〉
「お気持ちが現在、変わったとは考えられない」
著者の奥野氏に尋ねると、
「記述した内容は16年、上皇さまと極めて近しい立場にある関係者から聞いたものです。それ以外にも複数の人物が、ご在位中の上皇さまから同じニュアンスのお話を伺っていました。上皇さまは熟慮を重ねられ、決意なさった上でお話しになったはずで、そのお気持ちが現在、変わったとは考えられません」
とすれば“終活”を展開されている上皇さまにとって、改正典範が公布されて「愛子天皇」の可能性が遠ざかってしまった状況は、大いなるお心残りであるに相違ない。
「女性天皇を容認する国民の声がかき消され、結果的に『国民と共に歩む』ことがままならなくなれば、国民が離れていき、皇室は立ち行かなくなる。もどかしさとともに、上皇さまはそのように憂慮されているのではないでしょうか」(同)
かつて天皇陛下は皇太子時代の05年2月、お誕生日に際した会見で愛子さまの養育方針について尋ねられ、
〈どのような立場に将来なるにせよ、一人の人間として立派に育ってほしい〉
と述べられていた。時あたかも小泉政権下で女性・女系天皇の検討が始まっており、陛下はあらゆる可能性を想定されながら愛子さまをお育てになっていたことがうかがえる。
また本年6月、オランダ・ベルギーご訪問前の会見で陛下は、ご家族のあり方について問われ、ご両親の手元で育ててもらったことへの感謝を口にされながら、こう仰ったのである。
〈子供の時から両親のやること、それを一つ一つ見ることができました〉
〈愛子にも同じように一人の皇族として、そして、どういうふうにこれから振る舞ったらいいか(中略)教えていきたい〉
宮内庁関係者によれば、
「ご一緒の空間で“背中を見て育つ”という、まさしく帝王学の重みについて、陛下は言及されたのだと思います」
さらに、先の奥野氏も、
「“天皇はどうあるべきか”を記した文書があるわけではなく、教える人もいない。それを教えられるのは今上陛下しかいません。ご自身のなさりようを見せるしかないのですが、愛子さまは幼少の頃から『父子相伝』で学んできました。陛下は愛子さまを、いついかなるお立場になっても大丈夫なようにお育てになっており、それは上皇さまもご存じのことでしょう」
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