「天皇は人間ではなく神でなければならない」――天皇の「人間宣言」を批判した三島由紀夫は本当に「狂信的」だったのか?
「なぜ天皇は人間になってしまったのか(などてすめろぎは人間となりたまいし)」――作家の三島由紀夫は『英霊の聲』で、昭和天皇の「人間宣言」を繰り返し批判した。
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いっけん「狂信的」にも見えるこの批判について、京都大学名誉教授の佐伯啓思氏は「情念ではなくきわめてロジカルな問いだった」と評価する。佐伯氏の新刊『日本人の精神II 「おのずから」の歴史意識』(新潮選書)から一部を再編集して紹介する。
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戦前と戦後を隔てるもの
戦前と戦後の間には、おびただしい死者が横たわっている。この死者が戦前と戦後を隔てている。そして、戦死者を前にした時、戦前に対して、戦後社会のこのどうしようもない不釣り合い、平和と繁栄の巨大な舞台の床下に眠る軍民あわせて310万体に及ぶ遺骨の存在、そしてその上に次々と壮麗な建造物を乱立させるという戦後の繁栄のもつ不釣り合いがどうしても見え透いてしまう。
もう一度繰り返していえば、この平和と繁栄の奇跡の戦後舞台の上で、あの戦死者たちの魂は何処へ行くのであろうか。それを受け止めるはずの戦後人の精神の内側に、この魂が帰趨する場所はまだあるだろうか。「戦後」を考える上でそれは決定的な問題だと私には思われる。
吉田満は1923年に生まれ、東京帝国大学を繰り上げ卒業後に海軍に入り、戦艦大和に乗船して沖縄特攻作戦に参加した。奇跡的に生還した彼は、戦後、日本銀行で働いた。占領下で書かれた「戦艦大和ノ最期」はGHQによって全文削除され、1952年になってようやく修正の上、発表された。亡くなったのは1979年。ほぼ昭和の激動をそのまま生きたといえる。
■あらかじめ生き残った男
その吉田満の二歳年下が三島由紀夫である。彼は、昭和と共に誕生した。三島の生涯についてはあれこれ述べる必要はなかろう。ただ彼は、吉田と違い、病弱と軍医の誤診のために入隊を免れた。そのことが、戦後の彼の生き方や思想に大きな影響を及ぼしている。彼は、戦地に赴くことなく、あらかじめ生き残ったのである。
ただ三島は、入隊するつもりで遺書を書いている。国のために立派に役目を果たす、と書いている。入隊しなかったにもかかわらず、遺書はずっと手元に残った。そのことの「負い目」を三島は引きずっていたが、戦後日本社会が戦死者たちに対する「負い目」を見失ってゆき、それに代わって平和と繁栄の奇跡の成功物語をつむぐようになるにつれて、彼の戦後日本へのいいようのない苛立ちは、ほとんど絶望の次元にまで達していった。
少なくとも彼はそのように演じた。もっとも三島にあっては、演じることそのものがそのまま真実であった。この戦後社会の欺瞞に対する自爆テロが1970年の自衛隊突入と割腹自殺である。先の吉田満が、戦没学徒の亡霊が、この戦後日本へ流浪してくるという幻影を見ている頃である。
行き場のない魂の恨み
三島由紀夫が『英霊の聲』を書いたのは自決のしばらく前、1966年であった。ここで彼が描いたのは、戦死者の亡霊とは言わないが、この行き場のない戦死者の魂の恨みである。ある降霊の会で、二・二六事件で決起した青年将校たちの霊によって引き寄せられ、大東亜戦争の特攻隊員たちの霊が降りてくる。
彼らはもはや帰趨する場所をもたずただただ漂っている。天皇のため、国のためといって自ら命を投げ出し、英霊や神霊となったはずの戦死者の霊のやすらぐ場所が戦後日本にはどこにもない。当然のことである。天皇は神ではなく人になったからである。国の神がなくなったからである。
「などてすめろぎは人間となりたまいし」という幾度となく反復される呪詛は、戦没者を代弁する三島の個人的な情念などではなく、実に論理的な問いかけというほかない。なぜなら、天皇が神でなくなれば、天皇(神)のために死した者たちの霊は行き場を失うからである。きわめてロジカルな疑問である。
■人間宣言が意味したもの
1946年の元日、いわゆる人間宣言(新日本建設に関する詔書)によって、天皇はもはや神ではなくなった。「朕と国民との紐帯は、相互の信頼と敬愛によるものであり、単なる神話と伝説によるものではない。天皇をもって現御神(アキツミカミ)とし、日本国民を他民族よりも優秀な民族とし、世界を支配すべき運命にあるというような架空の観念によるものではない」(以上、大意)。
この文書の成立にはGHQが深く関与していたが、それはともかく、この宣言は天皇の脱神格化以上のことを意味していた。天皇の人間への「降格」とともに、天皇を神から「分離」したのである。
公式的にいえば、死者の魂の行き場を消去したのは、45年の年末に出された神道指令であり、それに基づく神社の宗教法人化であったが、それとともに、ここで天皇自ら、世俗世界と神の関係を明確に切断したのである。
近代日本においては、人々は天皇を通して神と結びついていたのだが、その媒介装置がなくなったのである。戦後の日本では、天皇は人と神を結びつけるというより、人を神から切り離すものとなった。こうして日本から事実上、神の観念がほぼ消え失せたのである。
安定になった天皇の位置
神というものの、それなりに確かな感触や姿を持てなくなった。少なくとも公式的には、神は行き場を失った。同時に天皇は、まったき世俗世界の一般人でもなく、また神格を帯びた特異な存在でもなく、その位置づけ自体がきわめて不明瞭になった。天皇自身がきわめて不安定な存在となったのである。
憲法には、天皇の国民統合の象徴としての位置づけと、天皇の国事行為についての規定はあるが、祭祀者としての役割も意義も書かれていない。当然ながら神道との関係はまったく触れられていない。それゆえ、憲法上、なぜ天皇という存在がありうるのか、その位置づけは不透明になってしまった。
神は宮を出てさまよい、やまとびとは神を失う――魂の行き場をめぐるこの問いは、「靖国」という難題へと接続していく。三島の呪詛は、いまも答えを待っているのだ。
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※本記事は、佐伯啓思著『日本人の精神II 「おのずから」の歴史意識』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。










