「万博に浮かれる日本人」を見て“戦艦大和の生還者”が問うた「重たいひと言」

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「もはや戦後ではない」から14年、大阪万博には6400万人が押し寄せた。

 その頃、戦艦大和の生還者・吉田満は問うていた。もし戦没学徒の亡霊がこの繁栄の街へさ迷い出たら、彼らは何と言うだろうか、と。

 以下、京都大学名誉教授の佐伯啓思氏による新刊『日本人の精神II 「おのずから」の歴史意識』(新潮選書)から一部を再編集して紹介する。

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17年後に起きた激烈な行動

 小津安二郎監督の名画『東京物語』(1953年)が暗示した、戦後日本の復興から経済成長至上主義へいたる太平の姿は、それから17年後に一人の作家による激烈な行動を呼び起こした。三島由紀夫による1970年11月25日の市ヶ谷にある自衛隊駐屯地への乱入、自決事件である。

 私は、それ以前の三島にはさほど好意的な関心は持っていなかった。ボディビルにせよ、楯の会にせよ、そのあまりに芝居がかった大仰な身振りも芸能人まがいのメディアへの露出もあまり好きではなかった。見事に作られた人工的な文体も彼の肉体も好みではなかった。

 しかし、11月25日の事件には衝撃を受けた。三島は何を考えていたのか。何を訴えたのか。そのことが気になり、彼の評論等もいくつか読み直した。今では、三島は戦後日本を語る上でおそらく決定的な問いかけをわれわれに残したと思う。しかも、この事件によって、事実上、「戦後」は終わった。こういう思いが強い。

■死者の魂は何処へいったのか

 小津の『東京物語』に漂う倫理的なたたずまいをその背後で支えているものは、映画には登場しない戦死した次男である。「見えない死者」が映画に奥行きを与えている。

 だがこの「見えない死者」を人々はどのように処遇したのだろうか。それも映像では隠されている。端的にいえば、そこはよくわからないのだ。

 「よくわからない」のは映画における描き方だけではなく、戦後日本の現実の方でもある。明らかに、老夫婦も紀子もこの戦死者に負い目を抱いている。死した者の魂は決して成仏したわけではないのだ。

 では、それは何処へいったのだろうか。結局、死者の魂を受けとめる場所とは、生者の心のうちにあると考える以外にないであろう。これは「死者の魂」というよりも実は「生者の魂」の問題なのである。「死者の魂」と「生者の魂」の交感の場といってもよい。

「面影」を追う日本の倫理観

 生者、つまり戦後日本という生の場所に取り残された者は、死者の魂を前にしてみずからに問いかけ、襟を正し、精神の姿勢をまっすぐに保とうとする。だが、それでもやがて死者は生者の記憶のなかで薄らいでゆく。そしてその予感が、かろうじて生き延びた者の内面に倫理の形を生み出す。

 消え去ってゆくものの面影を追い、消すまじとする必死の思いが、倫理という形をとって、残された者の心の支えとなる。無へと帰すものの残影を「面影」として追い求めるという態度が、日本の倫理観の根源にある。

 目の前でおびただしい若者の死を目撃しつつも戦後を生き延びたことへの倫理的な「負い目」は、たとえば、戦艦大和からの生還者であった吉田満ともなれば、その評論に色濃く漂ってくるのも当然であった。

■遺書に見る「打算のない誠実さ」

 彼は1969年に発表した「戦没学徒の遺産」(『「戦艦大和と戦後」吉田満文集』所収。筑摩書房)に次のようなことを書きつけた。

「自ら志願し、あるいは学徒出陣によって戦場へと送られた学徒の遺書を読むと、彼らが、まったく利害得失や保身の気持ちをもたずに、与えられた役割を果たそうとしたことがよくわかる。」

 彼らにあったのは、「自分に課せられたものに対する打算のない誠実さ、与えられた役割を謙虚に受け入れ、利害をはなれて最善をつくし悔いを残すまいとする忠実さ」である。

 ではその至純とでもいうべき精神は何を残したのだろうか。戦没学徒たちは、戦後の平和で幸福で豊かな日本の再出発を期待したのではなかったろうか、と吉田はいう。最後まで自らの死の意味を問うていた学生たちは、もちろん確かな答えなど見出すはずもない。

■「優しい乙女の住む国」のために

 しかし、たとえば、よく知られた『くちなしの花』と題する遺稿集を残した宅嶋徳光は、恋人への強い想いを抱きながらも次のように書く。

「俺のなかにはいま君よりも大事なものがある。それは、君のような優しい乙女の住む国のことであり、静かな黄昏の田畑のなかで、まだ顔もよく見えない遠くから俺たちに頭をさげてくれる子供たちのいじらしさである。あのような可愛い子供たちのためならば、生命も決して惜しくはない。」

 また、慶応大学出身の神風特攻隊員であった林憲正は次のように書いた。「私は郷土を守るために死ねるだろう。死して日本を離れる時にこそ、私は日本を祖国として郷土として、その清らかさ、高さ、尊さ、その美しさを護るために死ぬことができる」(吉田満「青年は何のために戦ったか」前掲所収)。

悲しみをたたえた覚悟

 この、祖国と郷土のための死の決意を自己美化だなどという者には、戦没者の遺稿を読む必要はない。宅嶋や林の遺稿には、やるせないほどの悲痛な清明さ、悲しみをたたえた覚悟がにじみ出ている。彼らは、この悲しみと覚悟のうちに、将来の日本の再建を夢見ていた。

 いや、夢見るというような呑気な話ではない。自己犠牲の意味をかろうじて、将来の日本への希望としてつなぎとめている。それは、林にとっては「その清らかさ、高さ、尊さ、その美しさ」を決して失うことのない日本であり、宅嶋にとっては、「優しい乙女の住む国」であり、また「まだ顔もよく見えない遠くから俺たちに頭をさげてくれる子供たちのいじらしさ」の国であった。

 では、戦争に負けてやり直した戦後日本は、彼らが求めた国になったのであろうか。もしも戦没学徒の亡霊がこの繁栄の頂点にある今日の日本(1969年の日本)の街へさ迷い出たとすれば、彼らは何というであろうか。こう吉田は自らに問いかける。

■何のための繁栄と経済力

 彼らが命を賭けて守ろうとした「遠くから挨拶をするいじらしい子供たち」が成人した今日、彼らはどうなっているのか。日本の「清らかさ、高さ、尊さ、美しさ」はどうなったのか。戦後、高度成長を遂げた日本を見た戦没者たちは、ひとまずは、この氾濫する自由と平和を見て狂喜するであろう。

 だが同時に、この自由や平和、繁栄と経済力が、自己中心的な快適な生活を維持するためだけに費やされていることを知れば、彼らは、ひとかけらの人間らしさも与えられなかったあの戦時中よりも、現代をさらに不毛な時代であると訴えるであろう……。

 万博の「人類の進歩と調和」の陰に潜む「現代社会の空虚さ」。確かに、忘却は人間の知恵でもある。だが、忘却を美徳と言い換えたとき、戦後は何かを決定的に失ったのだ

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※本記事は、佐伯啓思著『日本人の精神II 「おのずから」の歴史意識』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

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