名作『東京物語』の主役は原節子でも笠智衆でもない。「忘れられた主役」とは?
「わたくしずるいんです」――小津安二郎の名作『東京物語』で、「昭和」を代表する女優・原節子演じる紀子はそう言って泣く。彼女を追い詰めていたのは、何だったのか。
京都大学名誉教授の佐伯啓思氏が新刊『日本人の精神II 「おのずから」の歴史意識』(新潮選書)で、この映画の「真の主役」について論じている。以下、同書から一部を再編集して紹介する。
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もはや戦後ではない」の3年前
小津安二郎監督の映画『東京物語』が公開されたのは1953年であった。
サンフランシスコ講和条約によって米国による占領が終了し、日本が「国際社会」に復帰した翌年である。
また、かの有名な「もはや戦後ではない」と宣言する『経済白書』が書かれるのは3年後の1956年である。要するに、日本は戦争の大きな傷跡を残しつつも、その後遺症からようやく立ち直りつつあり、経済成長回路の入り口にあった。
小津安二郎は1903年(明治36年)にうまれ、1963年(昭和38年)に死去したから、この作品が撮られたのは、彼が49歳、ちょうど脂が乗った時期である。『東京物語』は、いうまでもなく小津の代表作であり、この作品を日本の代表的映画の一本にあげる人は多いし、海外でも高い評判を得ている。
きわめてよく知られた作品であり、読者には既知の作品だと思うが、クライマックスは映画の最後にやってくる。これもよく知られた場面ではあるが、念のために記しておこう。
「わたくしずるいんです」
尾道から東京へ息子(長男)や娘(長女)に会いにやってきた老夫婦に対して、仕事に追われる実の息子や娘はそっけない態度をとる。親身に世話をやくのは戦死した次男の嫁(原節子演じる紀子)だけであった。少し拍子抜けした老夫婦は、それでも満足気に尾道に帰る。
しかし、体調を崩した妻はその後すぐに死去する。葬儀に来た息子や娘は早々に引き上げ、後に残った次男の嫁に対して老父(笠智衆演じる周吉)は再婚を勧めながらいう。「あんたみたいなええ人はないいうて、お母さんもほめとったよ」と。
これに対して紀子は答える。自分は決してそんな人間ではない。「わたくしずるいんです」。最近では戦死した夫のことを思い出すことも少なくなり、時々、自分の将来が不安になる時がある、と。
「私はずるい」と言いながら顔を手で覆って泣く紀子の姿が映画の見せ場になっているが、ここで観客を深い感動に誘う仕掛けは、実際には映画には決して登場しない「見えない存在」にあった。戦死者である紀子の夫(老夫婦の次男)である。
■誰も戦死者の話をしない
戦死した老夫婦の次男の話は映画にはほとんどでてこない。もはや誰もが、戦死者の話などしない。3年後の「もはや戦後ではない」は、日本のGDP(GNP)がほぼ戦前の水準まで回復したことを指している。
終戦からほぼ10年で、日本経済は戦前の状態まで復興した。日中戦争から数えてほぼ20年。この20年は、日本近代史のなかでも例外的な異常事態として処理されようとしていた。東京で医者をする長男や美容院を営む長女、それに大阪で働く三男は、すべて戦後日本の復興軌道にのりかけており、高度成長前夜にあって、もはや戦争の痕跡を感じさせない。
あわただしく日常の些事にかまけ、微妙な夫婦の揺らぎを何とかやりくりしている。この日常以外に関心の向くところもない。戦争の前にはまだ存在した親子関係も密な家族のつながりも大きく変化していた。
死者が結ぶ他人同士
ただ、息子を亡くした老夫婦と夫を失った嫁だけが、いまだに戦争を引きずっている。そして、この戦死者こそが老夫婦と嫁を深く結びつけている。血のつながらない他人同士が、眼前には存在しない死者によって結びついているのである。
このように書いただけで、「戦後日本」を代表する一本としてこの映画があげられる理由は明らかであろう。いつまでも戦死者に拘泥していては戦後復興など進まない。戦死者の忘却は決して彼らへの冷淡な仕打ちということはできない。
大事なのは生であり日々の暮らしであり、現実の生者なのである。戦死者を記憶から抹殺することは不可能であっても、記憶の奥に押し込めなければこの現実の生が成立しない。社会へ亡霊のように現出してもらっては困るのである。
■「生」に価値を置いた戦後社会
こうした当時の日本社会を覆う気分が、家の変容や、親子の世代の転換などを軸にして描かれている。日本の家族の変容やゆるやかな崩壊が展開されている。そしてその背後にはあの戦争の死者がいたはずである。
だが「死」の隠蔽によって「生」にこそ決定的な価値を置いたのが戦後社会であり、それはまた、戦死者の亡霊を封印することであった。戦後日本は、その弁明を経済成長と戦後民主主義に求めたのである。
なぜなら、この両者こそ、記憶にとどまり続ける死者ではなく、現前する生者の幸福を約束するものであり、それは過去ではなく未来の福音を期待させるものであったからだ。経済成長も民主主義も、過ぎたページを閉じ、未来へと目を向けさせる。
だが、この映画の真実は、夫を失った紀子にはそれはできない点にある。夫を忘れることはできない。しかしだからといって、紀子は別に義理の兄や義理の姉を難じようとは決してしないし、戦死者を置き忘れて復興から成長へと舞台を転換させ、戦後街道を邁進する社会風潮を批判することもない。
■時間は不安を忖度しない
なぜなら、紀子もまた経済が急拡大しつつある戦後を生き延びなければならず、いずれ些事にかまける日常に飲み込まれるからである。紀子にはそのことが分かっているのだ。戦死者である夫の記憶さえ薄らいでゆく自分を許しがたいと思っても、時間は紀子の危惧など忖度するはずもない。
そのことをすべて理解している老父周吉は、「ええんじゃよ、それで。やっぱりあんたはええ人じゃよ、正直で」といって紀子を東京へ送りだすのである。後に残ったのは、誰もいない室内にポツンとすわって海を眺める老人だけであった。
記憶の消失への不安が倫理を生む
いうまでもなく、紀子に強い倫理を促すものは、その背後にある戦死者であるが、間違ってはならない。戦死者の記憶が紀子の内面に倫理を起動させているのではない。そうではなく、戦死者の記憶が薄らいでゆくという不安こそが内面の倫理を生成しているのである。
目には見えない戦死者がわれわれに倫理を強いているのではなく、生者の中にある戦死者の記憶の消失への不安こそが、かろうじてわれわれを倫理へとつないでいるのである。だから、この映画の隠れた、しかし真の主役は、まったく映画には登場しないすでに死んだ人物なのであり、死者の記憶なのである。
どれほどストイックな人間であっても、またいくら強烈な体験でも、記憶の風化にさらされないものはないだろう。それは自然なことであり、善悪を超えている。ただ、それを忘れまいとする意識、薄れゆく記憶をかろうじて留めおこうとするギリギリの意思。こういうものが内面的な倫理を形作る。
忘れることは自然であり、罪ではない。それでも忘れまいとするギリギリの意思が、人を倫理へとつなぎとめる。紀子の涙は、戦後日本が手放そうとしていたものの重さを、いまも静かに告げている。
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※本記事は、佐伯啓思著『日本人の精神II 「おのずから」の歴史意識』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。











