「皇居ラン」はいますぐ禁止すべきか? “猛スピードで駆け抜ける”“歩行者に配慮しない”は論外だが…競技ではなく“生活文化”としてのスポーツを考える

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 かつて、原宿をジョギングしていて、明治神宮の参道が目に入り、そのまま駆け込んだことがある。本殿まで歩けば10分くらいかかるが、「走ればアッと言う間に着くな」などと内心思いながら進もうとした。ところが、入り口に立つ警備員さんから、

「参道は走っちゃダメ!」

 と注意され、いきなり、出鼻をくじかれた。

 少し不満を感じたが、我に返り、敬虔な面持ちで歩を進める他の参拝者の姿を見れば、なるほどね、と納得がいった。大学受験で上京中の時だから、かれこれ50年以上前の経験である。【小林信也(作家・スポーツライター)】

芝生の上で遊べない国・日本

 同じころ、新宿御苑に初めて行って、広い芝生に感動した。田舎でも見たことのない一面の緑の風景に胸が躍り、子犬のように芝生に入って飛び回った。この時もすぐ警備員に怒られた。

「芝生の中に入っちゃダメ!」

 辺りに目をやると、たしかに『芝生内立入禁止』と小さな立て札があった。これには少し納得がいかなかった。

 それから十年ほどして、「広い芝生の原っぱでみんなに遊んでもらおう」という目的を持つ広大な国営公園が全国に設置され、ようやく日本は「芝生の上で遊べる国」になった。だが開園当初は、多くの人が舗装された園路を歩くばかりで、芝生の広場に立ち入る入園者は少数だった。それで僕は公園当局と相談して、フリスビーとかディスクゴルフとか、芝生の上で遊ぶ楽しみ方を提案するイベント・プロデュースを十年間くらい、ほとんどボランティアでやった。

輸入された概念としての「ジョギング」

 さて、本題。ここ最近、「皇居の周りを走るな!」という議論が巻き起こっているのをご存じだろうか。

 皇居の周りの歩道がジョガーたちの格好の走路になったのは、1970年代からと考えられている。ちょうど僕がスポーツライターのような仕事を始めた1977年、アメリカのノンフィクション作家ジェイムズ・フィックスの書いた『奇蹟のランニング』(邦題)がベストセラーとなった。アメリカで愛好者を増やしていたジョギングが、この本で一気に人気に火が点いたように日本では伝えられた。

 伝えられた、とまるで他人事のように書いたが、そのころ若者文化に大きな影響を与えていた雑誌「ポパイ」が、そのようなアメリカの新しいスポーツムーブメントを先頭を切って紹介していた。「ポパイ」は人気のジョギング・シューズやウエアもいち早く紹介し、ファッションのムーブメントづくりでも一翼を担った。やがてその原稿の大半を任されたのが、まだ大学3年生の僕だった。

 ジョギングとかジョガーという言葉をここまで当たり前に使ってきたが、「ジョギング」はそのころ日本に入って来た言葉で、それまで長距離を走る行為は総じて「マラソン」とか「長距離走」と呼ばれていた。

「タイムを競うのでなく、自分の健康や楽しみのために長い距離を心地よいペースで走ることをジョギングと呼ぶ」と教えられ、長距離走の新しい楽しみ方と効用を日本人と日本社会が認識し始めた。甲子園を目指す高校球児だった僕自身、それまで「健康のためにスポーツをする」「楽しむために走る」という概念はなかったから、激しいカルチャー・ショックを受けた。

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