「そうか、これが“がんになる”ということか」…膵臓がん患者が、自分より高齢の入院患者を妬ましく思った瞬間 病人同士を隔てる“深い溝”とは【第5回】

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「病人であるという自覚」

 入院2日目、私は手術室に運び込まれた。

 手術室までは通常の動線とは違う専用のルートがある。特別なルートを通って特別なエレベーターに乗って移動する間、患者はストレッチャーに寝かされ天井を見るしかない。なす術のない自分が受動的で小さい存在に感じられる。

 そして手術着の心許なさ。不測の事態に備えて処置がしやすいようになのだと思うが、薄く脱がせやすいようにできている。体感としてはスースーする。さらに手術室は機材が多いせいか、あるいは薬品のせいか、少し気温が低い。

 笑顔で語りかけてくれるスタッフには申し訳ないが、これら全てがホラー映画の始まりのような没入体験だ。緊張するなといわれても難しい。

 こんなとき私は“好奇心モード”に切り替えるのが常だった。緊張している自分を放置するより、面白そうなものを見つけて観察したり質問したりする。そうしている間に多少なりとも主体性を取り戻すことができる。

 私はかつて胃カメラで辛い思いをしたことを思い出し「途中で意識を取り戻したりしないですか?」と聞いた。スタッフは「麻酔が効いてますから心配ないですよ」と笑った。

 これだけで気が楽になった。

 気がついたら自分の病室のベッドにいた。体に不調はなかったが、ナースの気遣いや薬の量は「おまえは病人なのだ」と告げていた。

 最初の入院で体感したことの全ては「病人であるという自覚」を促し「がん世界のリアル」と向き合う心構えを与えてくれたように思う。

 1週間後、検査の結果が出て、膵臓がんであることが確定した。

Y・J
1963年生まれ。京都大学大学院を経て、テレビ局に就職し、数多くのドキュメンタリー番組や教育番組を手掛ける。退職後は大学に転職し、現在も教員としてメディア論や社会学などを教えている。

デイリー新潮編集部

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