「猫のほうから裏切ることはない」「猫のいる場所が“帰る場所”」 猫好きの歌手・作家・酒場詩人が明かす「人生を変えた“あの猫”とのひと時」
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけている本連載でおなじみのコラムニスト・峯田淳さんの新刊が出ました。『猫のいる人生』(新潮新書)では、ご自身が猫と過ごした日々を、貴重なエピソードで振り返っています。連載82回目は、番外編として、第一線で活躍する有名人と猫との意外なエピソードを綴ります。
【写真を見る】飼ってみるとわかる、かけがえのない存在…猫への思いを語った人たち
1匹の猫で人生が……
2011年の東日本大震災直後から妻についてきた野良猫を飼い始めた。その後、2匹の元保護猫をもらい、最初の猫をガンで亡くしてからもう1匹、元保護猫を引き取った。
ガン闘病や、今も飼っている3匹との生活の中で、猫から学んだ様々な出来事をまとめた『猫のいる人生』(新潮新書)をこのほど出版する機会に恵まれた。
同書では、猫に関して話を聞くことができた歌手や俳優の貴重なエピソードなどを盛り込んだが、刊行までの間、猫好きの有名人から、猫とともに生きること、学んだことについて話を伺うことも多かった。そこで今回は、本の中では取り上げなかった話を中心に構成してみたい。
猫の影響で人生が一変してしまったのは、この人をおいて他にいないだろう。
2024年暮れ、その冬に豪雪に見舞われてニュースにもなっていた福島・猪苗代町に出かけた。60年以上のキャリアを誇り、世界的に有名なフラメンコダンサーとして知られる長嶺ヤス子さん(90歳)を訪ねるためだった。
今から40数年前のこと。長嶺さんはダンサーとして活躍する一方で、都内のマンションで保護猫や野良猫を100匹以上飼っていたのだが、大家から出ていけといわれ、ワイドショーが連日取り上げる騒動になった。
そもそも、長嶺さんはなぜそれほどまでに猫に執着することになったのか。それはある悲劇が始まりだった。80年、44歳の時だった。長嶺さんは東京の外苑前を車で通りかかった。
「車は私が運転していたの。広い道路の真ん中に街路樹があるでしょ。そこから猫がピョンと飛び出して来て。咄嗟のことでとても避けられなかったわ。何とか生きてほしいと思って、横たわっている猫を大慌てで病院に連れて行きました。先生が必死に手当てしてくれた甲斐もなく、朝方には亡くなって……」
この出来事が胸をえぐるような傷になり、長嶺さんは一生をかけてその猫を供養しよう、人生を猫に捧げようと決意した。そして来るもの拒まず、瀕死の猫がいれば助けて育て、野良猫、保護猫を住まわせ、マンションの部屋は猫で溢れた。そして大家とモメ、連日ワイドショーに取り上げられる騒ぎに発展した。騒動後は故郷に350坪の土地を借りて猫を育て、一時は120匹の猫、犬とともに暮らした。
その間、死んでいった猫も多い。筆者が24年に訪ねた時には家中の棚などに猫の遺骨が800体も安置されていた。長嶺さんは「道路に飛び出した猫を轢いちゃったからね」と繰り返す。そんな猫への想い、後悔がここまでとは……。
費用はバカにならないし、生活は厳しい。それでも猫と居続ける。それこそフラメンコダンサーならではの炎のような情念とでもいうべきものだろう。ちなみに、その後は数を減らしていき、この時に飼っていたのは13匹だった。
[1/2ページ]


