旧皇族の皇籍復帰は「歴史的に見てもイレギュラーではない」 そして「皇籍離脱した女性皇族が復帰した前例も……」 では「黒田清子さん」「小室眞子さん」の復帰は?

  • ブックマーク

「日本の歴史を紐解けば、旧皇族が皇室に復帰することは決してイレギュラーとまでは言えないようです」

 宮内庁書陵部に勤務歴のある男性は、こう話す。時代があまりに違いすぎるとの見方もあるが、実際に第59代の宇多天皇(887年~897年)は、過剰なまでの皇族数の増加と、それに起因する財政難によって即位前の一時期、皇族の身分を離れており、戦後の旧皇族と状況が似ている。

「宇多天皇は臣籍降下した本人であり、改正皇室典範で養子入りする男性はあくまで子孫ですが、伏見博明さんのように元皇族も存命なので、やはりこの法改正は歴史的に見ても、無理筋には当たりません」(同)

 では無理筋でなないとして、そうなると黒田清子さんや小室眞子さんのように結婚して皇族の身分を離れた女性皇族はどう処遇するべきか……考察する。

皇族に復帰した過去の例

 宇多天皇は平安時代、光孝天皇(第58代)の15人目の男児として867年に生まれ、満17歳だった884年に「源」の姓をもらって皇室を出た。だが政治の“綱引き”の中で皇族に復帰、即位した。

「実は宇多天皇が皇族に復帰した際、ほぼ一緒に皇室を出ていた兄弟も皇族の身分を回復しています」(同)

 例えば宇多天皇の実の兄である是忠親王は、870年に臣籍降下して源是忠として生きていたが、弟の即位後の891年に皇族に復帰し、親王宣下を受けている。同じく臣籍降下していた兄の是貞親王も源是貞として生活していたが、宇多天皇の即位に伴って皇族に復帰。親王宣下を受けた。

「実は、宇多天皇の家族には、今回の皇室典範改正で新たに導入された、敗戦後に皇籍離脱(臣籍降下)した旧宮家出身だが皇族でなかった、つまり皇族だったことがない男系男子が、新たに皇族になるのと同様のケースもあったんです」(同)

 宇多天皇の長男で後に醍醐天皇となった敦仁親王は、宇多天皇が源定省だった時期に生まれており、誕生の段階では皇族ではなかった。だが父の皇族への復帰と即位という過程を経て、満年齢で2歳7か月のときに初めて皇族となっていたのだ。

 宮内庁では、制度変更の際に皇室制度史との整合性を、常に政府の中核となり検討を加えている。明治以降に制定された皇室典範に規定がなかった「上皇」や、天皇陵に埋葬する際の「火葬」の是非、長年実施されていなかった皇室儀式や宮中祭司の手順など、検討対象は多岐に及ぶ。

 昭和天皇崩御の際には、政教分離に伴って本来は密接不可分な葬儀を、国の儀式「大喪の礼」と皇室の私的な儀式「大喪儀」に分割するよう内閣に助言。神道の祭司である天皇の菩提寺で行われた仏教の法要には、政府はノータッチとする方向性を示した。

次ページ:宮内庁書陵部の業務とは

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。