76年のデビューから50周年! “ゲテモノ扱い”から“国民的スター”にのぼりつめた「ピンク・レディー」伝説 いまや“定番のお茶”を流行らせた実績も
「ザ・ベストテン」第1回放送第1位
「オリコン」調べによれば、1978年の10月時点で、ピンク・レディーの支持層は、3歳から12歳までが、42.5%。児童向け雑誌「小学六年生」(小学館)では、1977年5月号から1979年3月号まで、スター人気ランキングの1位だった。
阿久悠の回想がある。
〈これまで日本では、情緒的な共感がないと歌として成立しなかった。ぼくは、そうでない、無条件な人生賛歌、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさをピンク・レディーでやれた〉(朝日新聞。1981年1月24日付夕刊)。そして、こう総称している。
「ピンク・レディーの歌詞は、大フィクション」
「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」「サウスポー」「モンスター」etc. おもちゃ箱をひっくり返したような、文字通り遊び心溢れる架空の世界は、歌詞にメッセージを求める大人世代より、マンガ、アニメに慣れ親しみ、驚きや期待を欲する子どもたちにフィットしていたのだ。それは、新たなレコードの購買層でもあった。
そして、振り付けである。当初はあくまで、他の新人歌手との差異をつけるための戦略だったが、こちらも子どもたちに大ウケに。当時の横浜市の小学生(低学年)の発言を紐解こう。
〈学校でもね、給食のときUFOかかったら、みんな立って踊っちゃった〉(朝日新聞。1978年4月16日付)
この頃のピンク・レディーは「雑誌の撮影は15分以内」とお触れを出すほど多忙で、「UFO」の振りも発表直前の2時間でマスターしたらしいが、そんな大振り感も、子どもにはプラスに作用したようだ。
1977年のピンク・レディーのテレビ出演数は303回。そして、翌1978年1月19日にはランキング制音楽番組「ザ・ベストテン」(TBS系)が始まる。この1回目の放送からして、1位はピンク・レディーの「UFO」だった。以降、ピンク・レディーは毎週のように同番組に登場し、ファンの“振り付け熱”にも拍車がかかった。
〈「サウスポー」を踊ろう!〉(「微笑」1978年4月29日号)
〈「透明人間」の踊り方です〉(「女性セブン」1978年10月5日号)
雑誌でもグラビアの定番コーナーになるほどだった。
2001年、関西の人気番組「探偵!ナイトスクープ」で「ピンク・レディー世代の女性は、曲を聴くと踊れる」という噂の検証の依頼があったが、申し出を快諾した街行く女性たちは、ほぼ完璧に踊れていた(2月9日放送分)。ピンク・レディーこそ、まさにテレビ時代の申し子と言って良かった。
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