2027年のNHK大河ドラマ主人公・小栗上野介忠順はなぜ靖国神社に合祀されていないのか あまりに恣意的な合祀者選び

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「国のために亡くなった方々」がみな祀られてはいない

 高市早苗総理は、昨年10月4日に自民党総裁に選出された直後の会見で、靖国神社へ参拝するかどうかを問われ、こう話した。「靖国神社は戦没者慰霊の中心的な施設であり平和のお社です。どのように慰霊するのか、平和をお祈りするかは適時適切に判断させていただきます」。これまでは閣僚在任中も、終戦の日の8月15日や春秋の例大祭には、靖国神社を参拝してきた。

 だが、総理就任後は参拝を自重しており、今年2月の衆院選での大勝後には、「まず同盟国や周辺諸国の理解をえる」と述べた。要するに、外交問題に発展させないために、やむなく自重しているのだろう。2013年に当時の安倍晋三総理が靖国神社に参拝し、アメリカが失望を表明したとき、高市氏は「たがいに国のために亡くなった方々に敬意を捧げ合える環境をつくるのが目標だ」と語っていた。その後の発言等を鑑みるに、いまも同じ考えだと思われる。すなわち、「国のために亡くなった方々に敬意を捧げ」るのは当然で、それが国際的に認められるよう、環境を整備する必要がある、と。

 高市総理にかぎらず、日本の首相や大臣らが靖国神社に参拝することに対しては、近隣諸国との外交摩擦が生じる、という事情以外に、極東国際軍事裁判で有罪となったA級戦犯が合祀されている、ということが焦点となる。そんな場所に政治家が参拝するのは、戦争犯罪人を肯定していることにほかならない、というのである。

 だが、筆者は、戦争をはじめとする動乱のなかで命を落とした人が、立場を問わず平等に祀られているなら、たとえそこにA級戦犯が含まれていても、問題ないのではないかと思う。靖国神社の問題とはむしろ、「国のために亡くなった方々」がみな祀られているわけではない、という点にある。すなわち、合祀されている人があるイデオロギーのもとに選ばれている点に、この神社の最大の問題がある。

幕臣というだけで合祀されなかった

 たとえば、2027年のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公である小栗上野介忠順。32歳で日米修好通商条約を批准するために、遣米使節団に参加。帰国後は勘定奉行や外国奉行、軍艦奉行などを歴任しながら、横須賀製鉄所の建設、洋式軍隊の整備、日本初の株式会社の設立などを進め、海外で得た知見をもとに郵便制度の創設や鉄道建設、中央銀行設立を提唱するなど、日本の近代化のために尽力した。

 その後の日本の近代化は、小栗が築いた礎なしには語れない。しかし、彼は明治新政府側の人間ではなく、幕臣だった。大政奉還後は上野(群馬県)の権田村に移住し、水路を整備したり塾を開いたりと静かな生活を送っていたのだが、慶応4年(1868)閏4月4日、戊辰戦争のさなかに新政府軍によって捕縛され、なんら取り調べさえないまま家臣とともに斬首された。

 だが、どれだけ日本の近代化のために尽くした末に、戦争のどさくさのなかで殺されても、幕臣であるという一点をもって、靖国神社に合祀されることはなかった。

 あるいは、戊辰戦争の激戦のひとつ、北越戦争を戦った河井継之助。京都の治安維持に尽くした会津藩主の松平容保が、明治新政府によって朝敵とされると、同情が集まって奥羽越列藩同盟が結成された。そこに長岡城(新潟県長岡市)を拠点とする長岡藩も加わったことで、北越戦争に至ったのだが、長岡藩の家老で軍事総督に就任した継之助は、最後まで戦わずに済む道を模索した。

 土佐藩出身の新政府軍監、岩村精一郎と会談し、内戦で国土を疲弊させるより諸藩が団結してあたらしい国をつくるべきだと主張し、会津藩など旧幕府軍が新政府軍と和睦するように説得するので、猶予がほしい、だからその間は長岡藩領に入らないでほしい、と懇願した。しかし、岩村はまったく聞く耳を持たず、継之助の嘆願書に目を通すことさえせず、慶応4年5月10日、新政府軍は長岡藩領に侵攻した。

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