2027年のNHK大河ドラマ主人公・小栗上野介忠順はなぜ靖国神社に合祀されていないのか あまりに恣意的な合祀者選び
明治政府のイデオロギーに準じた人だけ祀られた
新政府軍は、まるでプーチン大統領か、ネタニヤフ首相か、というほどの強引なことをして、長岡藩を戦争に巻き込んだのである。継之助が率いる長岡藩兵は以後、7月まで奮闘するが、7月29日、いったん新政府軍から奪還した長岡城がふたたび陥落。継之助は左ひざに銃弾を受け、それがもとで8月12日に命を落とした。
しかし、継之助はむろんのこと、命を落とした長岡藩兵の誰一人として靖国神社には合祀されていない。一方、新政府軍として戦って命を落とした人は合祀されているのである。
高市総理がいう「国のために亡くなった方々に敬意を捧げ合える環境をつくる」ことに異存はない。問題は、靖国神社が「国のために亡くなった方々」が平等に祀られている神社ではない、ということだ。
要するに、薩長藩閥政府を樹立するために貢献し、その政府の方針に異を唱えずに命を落とした人が祀られている神社で、いわば明治政府のイデオロギーに準じた人は祀られているが、「国のために」異を唱えた人は、だれも祀られていないのである。つまり、国策がどんなにまちがっていても、それを受け入れて死んだ人は祀られているが、国のために、それこそ命をかけて「国策」を糺そうとした人は祀られていない。
したがって、そこに首相や大臣がそこに参拝するのは、国策がどんなにまちがっていようと、それに従うという姿勢を讃えることになってしまう。宗教法人としての靖国神社が、だれを祀っていようと神社側の勝手である。しかし、政治家が、しかも首相や大臣が、きわめて恣意的に祀る対象を選んできた神社を参拝することには、問題があるといわざるをえない。
テロを起こした人は祀り、テロの犠牲者は祀らない
「明治政府のイデオロギーに準じた人が祀られている」と書いたが、そのイデオロギーが転換すると、祀られる基準も転換している。例を挙げよう。
のちに明治政府を樹立する薩長が、尊王攘夷を主張していたころは、攘夷を実行した人が祀られた。文久元年(1861)、イギリス公使オールコックが、高輪(東京都品川区)の東禅寺で水戸浪士ら12人に襲われた。このときオールコックは無事で、12人の「テロリスト」はその場で斬り殺されたり、逃げられずに自決したりした。また、オールコックの警護に当たっていた幕臣2名も惨殺された。
これは許されざるテロだが、テロを起こした12人は明治22年(1889)、靖国神社に合祀され、その後、官位も追贈されている。一方、テロに襲われながら、公使を必死に守って命を落とした2人が合祀されることはなかった。
一方、明治元年(1868)に、イギリス公使パークスが浪士2名に襲撃されたときはどうか。このときもパークスは無事で、襲撃犯は1人がその場で切り捨てられ、もう1人は捕らえられ斬首された。だが、このときは薩長がすでに攘夷を捨て、開国路線に転換していたので、これらテロリストが靖国神社に祀られることはなかった。
なんというご都合主義だろう。自分たちが主張を変えれば、合祀される人の基準も変わったのである。しかも、自分たちがまちがいを犯してしまった場合でも、まちがった方針に従ってテロを起こした人は祀り、テロの犠牲者は祀らないのである。
繰り返しになるが、宗教法人としては、だれを祀ろうと自由である。だが、これほど恣意的に人が祀られている神社を、為政者が「国のために亡くなった方々に敬意を捧げ」るという趣旨で参拝することには、問題があるといわざるをえない。
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