「刺せ!」「殺せ!」野球場に飛び交う物騒な言葉は“守り続けるべき伝統”か…変化を好まない野球界に投じられた一石の意義

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正岡子規を冒涜する気か

 素晴しい発想、取り組みではないか。私は心を動かされた。早速、現在は石巻好文館高校に異動し、野球部の監督を務める榊良輔教諭に電話で話を聞いた。すると、榊監督は意外なほど慎重に言葉を選び、

「松本理事長が先頭に立って進めてくださる検討委員会には、私にできる範囲でお手伝いしたい」

 と言った。何か雰囲気がおかしい。さらに話を伺うと、新聞で報じられてから、学校に抗議の電話などが数多く寄せられ、心無い言葉に榊教諭自身が心を痛める事態になったのだという。つまり、長い伝統を持つ野球用語を変えようなんて不遜だ、という強いお叱りを受けたのだという。中には、「正岡子規を冒涜する気か」といった抗議もあったという。その事実を聞かされて、私は暗澹とした思いに沈んだ。

 昨今ネット上では心ない非難が横行している。表現の自由は守られるべきだが、自由で改革的な動きを暴力的な言葉や行動で制圧するのは「自由」の範囲を超えているのではないか。

 バッターを打者、ランナーを走者、デッドボールを死球、フライを飛球などと翻訳したのは正岡子規だと語り継がれている。それを知る方が子規の貢献にも敬意を表し、「変えるべきでない」と主張する気持ちも理解はできる。

 だがひとつ、事実の確認も必要だろう。

『デッドボールを死球』と先ほど書いたが、そもそもアメリカでは、投球が打者に当たることをデッドボールと言わない。「ヒット・バイ・ピッチ」が正確な用語だ。ところが当時ちょっとした勘違いがあったのだろう。「ヒット・バイ・ピッチ」をすっ飛ばして、「デッドボール」が用語として定着してしまった。

野球場に流れる空気を変える必要が

 勘違いを生んだのは、審判の動作だ。打者に投球が当たると、試合はその瞬間ボールデッドとなる。試合が止まるので、走者は次の塁を狙うことはできないし、捕手がボールを拾って離塁している走者をアウトにしようと送球もできない。できないというか、試合が止まっているのだから無意味な行為だ。つまり、死ぬのは打者でなく、ボール(試合)の方なのだ。正確に表現すれば、ヒット・バイ・ピッチによってボールデッドになったよと宣告するため主審は両手を上げるのだが、なぜかヒット・バイ・ピッチそのものをデッドボールと日本では呼んでしまったのだ。

 もし子規がデッドボールを死球と訳したのが事実なら、元になる訳語そのものを勘違いしていたわけだから、早く修正してあげた方が子規の名誉のためにもよいのではないか。もし「ヒット・バイ・ピッチ」が正しい用語と認識していたら、子規は一体どんな日本語を当てただろう。それを想像するのは楽しい。子規に代わって新語を創り出す楽しみもあっていいだろう。

 ヒット・バイ・ピッチ……。球が当たるから『当球』『触球』? 当たれば痛いから『痛球』? いや英語そのまま「ヒット・バイ・ピッチ」でいいのかも。

 慣れた用語の変更に抵抗を感じる野球ファンが多いのも事実だ。私自身いまもボールカウントはストライク・ボールの順で言う方がしっくり来る。

 しかし、野球界のパワハラ体質がなかなか改善されない本質的な理由の底流に、これら物騒な用語や慣用句の存在があるようにも思う。野球場に流れる空気を変える必要がある。指導者や選手の心の中の環境も変えた方がいい。私は強くそう願う。

スポーツライター・小林信也

デイリー新潮編集部

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