「東京スカイツリー(R)」「渋谷ヒカリエ」を手掛けた建築家「吉野繁氏」が明かす“都市のシンボル”を設計する苦労…「“変なものを作ったら孫の代まで笑われますよ”と言われましたね」

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秋葉原にタワーが建つ計画があった!

――そもそも吉野さんが設計者に決まった理由は、何だったのでしょうか。

吉野:スカイツリーを担当することは、2005年頃から決まっていました。なぜかというと、その前に、私が秋葉原に建つタワーのデザインをやっていた時期があったためです。

――秋葉原にタワーですか。そんな計画があったのですね。

吉野:2001年に「未来館」が竣工した後なので、2003年ぐらいの話かな。私のほうで10個ぐらいデザインを作って提案したのち、最終的に5案ぐらいに絞り、たびたび模型を作っては打ち合わせに行きました。

 そして、最終案を決めるために2案の模型を作り、箱から出そうとしたら、「計画がなくなってしまった」と言われて(笑)。ここまでやったのにと残念に思いましたが、このプロジェクトに関わったことは、スカイツリーをデザインするうえで大きな糧になったと思っています。

――“アンビルト”になったプロジェクトも、たくさんあるのですか。

吉野:私、実現したものの3倍ぐらい、アンビルトの建築がありますよ(笑)。あ、3倍じゃきかないくらいかもしれないな。会社(日建設計)も、あまりにアンビルトになってかわいそうだから、次は押上でタワーの計画があるんだけど……ということで、担当にしてくれたのだと思います。

――とはいえ、タワーの設計をしたことがある建築家は、そうそういないと思います。当時、日建設計のなかには吉野さんのほかに詳しい方はいたのでしょうか。

吉野:日建設計はオフィスをたくさん設計していますし、病院や空港などの大規模な施設をいくつも手掛けています。それでも、タワーは相当に特殊な仕事です。「東京タワー」や「神戸ポートタワー」なども日建設計の先人たちの仕事ですが、言うまでもなく、滅多に来る仕事ではありませんから、専門的に得意としている人がいるわけではないんですよね。

 私はどちらかといえば、会社の中では変わった仕事ばかり任されるポジションでした(笑)。そういう意味で、ちょうどよかったのかもしれませんね。

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