ひと声でスタジオを掌握…「金銭欲」も「ゆで卵」も笑いに変えた 板東英二さんが「司会者」として愛されたワケ

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窮屈に見えない

 板東さんは、決められた情報を処理しながらも、それを今その場で思いついた言葉のように話すことができた。台本に従っているのに窮屈に見えない。これこそが第一線に立つ司会者に必要な技術だった。

 板東さんは2つの相反する要素を備えていた。1つは、甲子園の伝説的投手であり、プロ野球でも確かな実績を残したという圧倒的な経歴である。もう1つは、その英雄的な実績を自らネタとして軽く扱い、笑いの材料にできる俗っぽさである。

 スポーツ界の大物がテレビに登場すると、共演者が気を使って遠慮してしまうことがある。だが、板東さんには、元スター選手としての威厳を守ろうとするところがほとんどなかった。

 関西弁で金銭欲を隠さず語り、ゆで卵への執着を笑われ、自分の失敗や器の小ささまで積極的にネタにした。そのため、共演する若手芸人や女性タレントも気兼ねなく話をすることができた。

 ここに板東さんの司会者としての最大の強みがあった。司会者は番組の権限を握る一方で、権威的に見えてはいけない。出演者に指示を出し、話を打ち切り、クイズの正解や不正解を宣告する立場でありながら、視聴者から反感を買わないためには、どこかにスキがあった方が良い。

 板東さんは、甲子園の英雄、元プロ野球選手、年長者という十分な権威を持ちながら、同時に「金に細かい」「ゆで卵が好き」「調子のいいおじさん」という漫画的な弱点をさらしていた。権威と道化性の両方を備えていたからこそ、番組を仕切っていても威圧的にならなかった。

 現在でも、元スポーツ選手がバラエティ番組で活躍することは珍しくない。しかし、板東さんが道を切り開いた時代には、元プロ野球選手はあくまで野球を語る専門家として扱われることが多かった。彼はその境界を越えて、スポーツ選手にも司会者や俳優として大成する可能性があることを証明した先駆者だった。

 板東英二さんが司会者として成功したのは、野球選手として有名だったからではない。勝負の場で培った判断力、解説者として磨いた説明力、ラジオで鍛えた瞬発力、関西的な話術、そして自分の権威を笑いによって崩す自己演出能力があったからだ。それに加えて、ひと声で場を掌握する声質、情報を明確に伝える滑舌の良さ、台本を即興の会話に見せる技術を備えていた。

 過去の栄光にしがみつくことなく、芸能界でその才能を開花させた板東さんは、アスリートタレントの伝説的な存在である。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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