生徒の自主性を重んじる時代になぜ“校内暴力が12万件超”で過去最多に? 「落ちこぼれ」と「吹きこぼれ」が教室にあふれる日本型教育の“機能不全”

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日本“均質社会”の崩壊

 当たり前だが古代社会に学校教育は必要ない。国民皆学は近代に始まったもので、国家は工場で勤務したり、複雑な兵器を操作したりできるよう子供たちを教育。上司や上官の命令に従う「規律」の重要性を叩き込んだ。

 明治維新を成し遂げた日本も、欧米各国にキャッチアップするため教育改革に着手する。国民皆学の理念を掲げ、大学、中学、小学校の設置を定めた「学制」が公布されたのは1872年、明治5年のことだ。富国強兵を実現するため、明治政府が学校教育の実施を最優先の政策と位置づけていたことがよく分かる。

「第二次世界大戦のあと、先進各国の学校は、徐々に少人数教育と個別最適化に舵を切ってきました。にもかかわらず、日本の学校の基本は未だに『大勢の子供たちが同じことを、同じように、同じペースで行う』一斉集団主義です。勉強や運動会などの行事はもとより、給食の配膳や掃除時間などの活動も同様です。こうした教育が一定の効果を挙げてきたのも事実ですが、今や制度疲労を起こして弊害が大きくなってきました。特に1990年代までは“一億総中流”という言葉の通り、保護者の経済状況や教育方針、子供たちの家庭環境も今ほど大きな違いはありませんでした。」(同・親野氏)

保護者も多様化

 ところが現在、保護者の経済状況や教育方針も含めて、子供たちの家庭環境は千差万別だ。“落ちこぼれ”だけでなく“吹きこぼれ”も注目を集める時代になった。

 子供たちの体験や学力の格差も大きくなっていて、それが子供たちの“生きづらさ”やストレスに繋がり学校での行動にも表れているという。

「公立小中学校の場合、同じクラスにいる子供たちの学力差が非常に大きいです。以前、中学3年生の数学の授業を見て暗澹たる気持ちになったことがありました。塾で学んで全部理解している子がいる一方、小学校の算数が身についてない子も多く、彼らは分からないまま座っているだけです。先生一人による一斉授業は生徒も先生も本当に不幸であり、どちらにも大きなストレスと不満がたまります。こうしたことが暴力やいじめに繋がっている可能性は高いでしょう。また保護者の多様化と格差も進んでいます。経済的にも精神的にも余裕がない保護者も多く、子育てや教育への意識が低かったり子供との良好な関係を築けていなかったりするケースもあります」(同・親野氏)

 いじめや暴力などの問題行為が発覚し、先生が保護者に連絡を取ったとしよう。すぐに駆け付けられる保護者もいれば、仕事のため夜遅くまで連絡が取れない保護者もいる。

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