取引先社長から「7歳上のうちの娘と結婚してくれ」 母にはマンション、奨学金も肩代わり…貧乏育ちの僕を待っていた甘すぎる縁談は罠なのか

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【前後編の前編/後編を読む】逆玉の輿生活は結婚8年で暗転 跡継ぎになるはずが…「僕は種馬だったの?」49歳夫が巻き込まれた妻の一族の“秘密”

「自分の常識は他人の非常識」とよく言われるが、それでも社会生活を営む上で、ある程度の基準はあるだろう。だが、どう考えても「通常の理屈では計り知れない」言動をとる人はいる。堂々と生きている。そこに人の営みの理不尽さがある。

「確かに僕が結婚した相手、およびその実家は奇妙な人たちで満ちていました。あの生活が今も僕の人生に影を落としていると思えば深刻なんですが、思い出すと笑ってしまいそうになることもありますね」

 福岡優夫さん(49歳・仮名=以下同)は、穏やかな笑みを浮かべながらそう言った。過去は「嵐のよう」だった。不惑を過ぎてようやく凪いだ人生が手に入ったかと思いきや、このところまた波の音が聞こえるようになったそうだ。

 優夫さんは、とある地方都市で生まれ育った。彼が生まれてすぐ、父親が事故で急逝。27歳だった母は、義父母に彼を預けて昼も夜も働いたという。

「ただ、僕が小学校に入るころ、このままだと母子の関係にとってよくないと思うようになったそうです。僕も覚えているけど、祖父は酒が入ると粗暴になるタイプ。僕の前で祖母を殴ったりしたこともある。僕は怖くてたまらなかった。でも深夜まで働いている母に、告げ口はできなかった」

義実家から脱出して

 それでも近所の人から話を聞いた母に真偽を問われ、彼は泣きながら「夜が怖い」と言った。祖母も夫からのDVでストレスがたまっていたのだろう。孫である優夫さんに冷たく当たった。

「母は僕を連れて逃げました。母自身も、祖父母に『福岡家の長男を殺したのはおまえだ。おまえと結婚しなければあの子はまだ元気だったに違いない』と言われたそうです。父が亡くなったことを受け止めきれず、祖父母は母を恨むしかなかったのかもしれない」

 母の遠い親戚がいる首都圏で、彼は小学校に入学した。とはいえ経済的に親戚に頼るわけにはいかない。父の事故で補償金も入ったのだが、それはそっくり祖父母に「奪われた」と母は語ったという。

「福祉につながって母子寮みたいなところに入居しました。そこではみんな貧乏だったから、それほど気にはならなかったけど、友だちのおかあさんには『ああ、あの寮ね』と蔑まれたように言われたこともある。でも母は『気にしないの。まじめに生きていけばいつか誰かがわかってくれるから』って。僕は一生懸命勉強して、小学校中学年からは夕食を作って母を待つようになりました。母は昼間働いて、夜は内職みたいなことをしていた。でも声を荒げたことのない、優しい人でした」

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