疎遠だった父親から届いた「突然のメール」 一緒に暮らした期間はごくわずか…それでも「親と同じ墓に入るか」との問いにどう答えたか
最後に一緒になるかどうか
社会人になってから父親とは疎遠になっていたものの、こうして自身の「死」を考えたことで連絡をしてきてくれたのは正直嬉しかった。今回の連絡については、「業務連絡」的な意図は当然ありながら、妻は「あなたがお義父さんを嫌っていて、同じ墓に入るのはイヤだと思っているかどうかを確認したい、というのが一義的な意図だと思う。だから『入りたくないワケがない』という返事をして」と言った。
世の中の多くの父子より、我々は疎遠度合いが高いだろう。この20年で10回ぐらいしか会っていない。そのうち2回は葬式である。そんな父親と「最後に一緒になるかどうか」といった実に重い問いかけをしてきた。だから、最初は一瞬戸惑ったものの「私はあなたを嫌っていない」の意思を伝えるべく、こう返事をした。
「一緒に入りたくない、なんてことはあり得ません。ただ、我々にとっては恐らく20~35年後の話なので、その時の社会状況とかも踏まえて直前で判断したいと思います。ですから、両親にとって現状最良の選択をしてください。それは立地面、費用面なども含めてです。お気持ちはありがたいですが、今はお二人にとって一番いいと思われる買い物をしてください」
家族会議の必要性
父親は私が4歳時の1977年、32歳でインドネシア赴任となり、1984年まで2年に1回帰ってくるだけだった。そこからアメリカ赴任をする1986年までは日本で一緒に暮らしたが仕事が忙しく、遊んでもらった記憶はほぼない。1984年の5月に駅近くの百貨店でファミコンを買ってくれたことぐらいしか覚えていない。
結果的に1987年10月から母と姉と私は父が待つアメリカに引っ越すが、過ごした期間は4年9ヶ月。日本に戻った大学時代も彼はアメリカにおり、私の社会人1年目の1997年のみ日本にいた。たまたま勤務地が2人ともJR田町駅だったため、1年間は一緒に通勤をした。だが、これが彼と一緒に住んだすべての期間である。再び彼は1998年にアメリカへ行った。
4歳までの記憶はないため、記憶がある期間、父親と過ごしたのは約7年。もうすぐ53歳になるため、46年は離れていることとなる。そんな父親からの「墓」に関するメールは、血縁の重さを思い知らされるとともに、両親の「終活」さらには「空き家の片づけ」「墓じまい」すべてを託された気持ちになった今回の1本のメールであった。
それと同時に、サブスクをどうするか、遺産をどうするか、父母で残った方をどのように対処すべきか、といったことも考えねばなるまい。姉は名古屋、私は佐賀県唐津市と実家のある多摩地区から離れているが、一度家族会議をする必要性も同時に感じたのである。





