大詰め「皇室典範改正案」に“紀子さまのご憂慮”…旧宮家からの養子入りが「ひいては悠仁さまの“お妃候補”のプレッシャー軽減につながる」との声も

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紀子さまは皇太后へ

 一方で、今回の皇室典範改正に向けた「立法府の総意」では「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れはゆるがせにしない」との方針が与野党共通の認識として示された。これは国会全体として皇室典範改正に当たり、今上天皇、秋篠宮さま、悠仁さまへと続く現在の皇位継承順位を大前提として維持することを意味している。

 言い換えれば、新たに誕生する養子の皇族に男の子が生まれても、悠仁さまを差し置いて天皇に即位することはあり得ないということでもある。一方、紀子さまは、秋篠宮さまが令和へのお代替わりに際して「兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからは(即位)できないです」と漏らされたと伝えられており、皇后となるかは微妙だ。しかし「天皇の母」つまり「皇太后」になることは事実上、確約されていると言えよう。

 平安時代、日本初の禅寺である檀林寺を今の京都市右京区に創建した檀林皇后は、第52代嵯峨天皇の正妻で、本名は橘嘉智子である。第54代仁明天皇の実母にして、第55代文徳天皇の祖母でもある。

 橘嘉智子は、夫が譲位した義理の弟で、夫とは母親が異なる第53代淳和天皇の次男に当たる恒貞親王が、実子(仁明天皇)の皇太子となったことを嫌悪していた。仁明天皇の長男、つまり彼女にとっては孫にあたる道康親王(後の文徳天皇)が、恒貞親王に代わって皇太子となるよう、水面下で糸を引いていたと言われている。

 一度は次期天皇の座を確約された恒貞親王が、皇太子のポストから引きずり降ろされたのは、藤原氏(藤原北家)の全盛を築いた一人といわれる摂政の藤原良房が、甥に当たる道康親王を皇太子にするため陰謀を企てたという説が、1960年代までは有力視されていた。だが現在は、裏で橘嘉智子と仁明天皇が暗躍したとの説が有力となっている。

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